みくま通信 12月号

「花さき山の話」

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「花さき山」という絵本があります。地味な本で、みくま幼稚園の図書室にも長い間置いてあります。切り絵でできた美しい絵本なのですが、子どもが飛びつくような楽しそうで胸踊るといった印象の表紙でもありませんから、なかなか借り手もつきません。私の母が園長だった頃、母はこの本が好きで機会があれば保護者や子ども達によく読んでいました。

当時は事務所の職員として川崎さんという年配の女性が勤めていました。温厚なその人柄から保護者や子ども達、職員にもとても慕われていました。冬休みには川崎さんのご夫婦が毎年のように職員を連れてスキー旅行にいきました。その頃は、みくま幼稚園が通園バスを持たず徒歩通園だけだった時代で、千里ニュータウンの老化に伴い西町の子どもが激減していました。通園バスを持てば一つの小学校区に一つの私立幼稚園の均衡が崩れます。といってこのままでは経営が破綻する。オイルショック以降の時代の過度期がやってきて、みくま幼稚園もクラス数が減少、2階の保育室は戸締めになり、何かひっそりと寂しい影が幼稚園に住み着いていました。通園バスを持とうと決断した母は、事務所の川崎さんとたった二人で幼稚園のパンフレットを配りにまわります。マンションの説明会場や管理組合、様々な所にみくま幼稚園が通園バスを出して子ども達を送迎することを伝えにいったそうです。当時は幼い子どもがバスに乗って遠くの私学に行くことに抵抗を感じる保護者が多い時代でした。保育年数は1年保育、2年保育が主流です。3年保育の子どもはほとんどいない時代でもありました。経営する者にとってはいつの頃も四季があります。冬の季節がやってきた時、たった一人で大きな決断を迫られることがあります。そんな時、事務所に座る川崎さんは親身な相談相手でもあり、心を温めてもらえる相手でもあったのでしょう。

 

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川崎さんが病気で亡くなった時、母は全職員に「花さき山」の絵本を贈りました。表紙をめくるとそこに川崎さんへの思いの手紙が添えられていました。

 

一つ親切にすれば一つ花が咲く。やさしい心でやさしい小さな花が咲く。その一つ一つが集まって美しい花を咲かせている花さき山、迷い込んでしまった女の子「あや」はやまんばに出会い、花さき山の由来を聴きます。しかし村に戻れば大人達からはそんな場所はあるわけない、狐に化かされたんだと笑われます。再びその場を訪ねようとしても、もう二度とその花さき山へ行くことはできませんでした、そんなお話です。苦しくても楽しくても、今日という日が二度とは来ない私たちの人生の中で、ともすれば忘れられてゆく他者への小さな願いや思いやり、やさしい気持ちが花になって咲いている。物語は最後に「けれどもあやは、そのあと、時々『あ!今花さき山で、おらの花が咲いてるな』って思うことがあった。」そう綴られています。

 

この幼稚園に勤めて以来、私はたくさんの人のやさしい気持ちに出会ってきました。我が子以外の子どもへの思いやり、自分以外の人間のための苦労、人知れず、黙って静かに施されてきた優しさの数々に触れることができました。今を生きる子育て中のお母さん達も、時々思い起こしてください。たくさんの花がきっと花さき山に今揺れているでしょう。

 

みくま幼稚園の運動場には3つのお家が立っています。そのいちばん小さなお家が「トキちゃんハウス」です。お葬式の後、川崎トキ子さんを忍んで建てられたお家です。めぐる季節の中でひっそりと園庭の花や木の下で、子ども達を優しく見守っています。

みくま通信 11月号

 

「大きな歯車を小さな力でゆっくり満たして回してゆく話」

 

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50年ほど昔、母に連れて行かれた小児科で、母は先生に「お子さんは滲出性体質(しんしゅつせいたいしつ)かもしれません。」と言われました。外部刺激に対して異常に敏感で滲出性反応をおこす体質で、乳児、幼児に多く、小さな傷でもリンパ節が腫れやすく、下痢、喘息性気管支炎などの症状が出る体質らしいのですが、半分は当てはまり、半分は当てはまらず、診断が本当かどうか確かめられないまま大きくなり、年を経るに従って何かと自分で対処できることも増えて、自分の体質に振り回されることも減り、十代が終わる頃には「小さい時には手のかかった子」として落ち着いてしまいました。

 

母親は大変だったろうと思い起こすのは、化学繊維のぬいぐるみを抱いては湿疹が出て、毛糸のセーターを着ては首元が腫れ、急に足の指先の皮がむけてきたり、夏には謎の発疹が出たり、冬にはお尻や太ももが真っ赤に腫れあがるようなじんましんが出たりと、とにかくどこかに何かしらの不調があっていそがしく、これと言う原因もわからず、当時は子育ても幼稚園の事業も必死であった母親でしたが、必死で余裕のないこうした母親が相談にゆくと言われる助言は今も昔も残念ながら「お母さんが無理をすると子どももしんどくなりますよ。」というものではないでしょうか。原因は「愛情不足」、暗にそういうことを言われ続けた母のことを思うと大変申し訳なく気の毒に感じます。当時の母も、きっと自分の無理は十分わかっていたのだろうと思うからです。

 

あの頃、まだ若かった母が仕事も家事も必死でやりくりする状態で、夕飯時には母がいないこともありましたし、手のかかる私に疲れた母が不機嫌に怒ると「別に私が働いてくれって頼んだわけじゃないのになあ。」と不満を感じたものですが、なんだかんだと小さな出来事こそあれ大事には至らず、親子にはすったもんだはありましたが、私は両親に守られて、将来は親元を離れて独立できるようあたたかく家庭教育を施され、手をかけて育てられた幸せな子どもでしたし、母は母なりのやり方で子育てを一生懸命していたと今こそ実感しています。

 

40歳を過ぎた頃、私は仕事も子育てもできかねていました。とにかく毎日は無情に、矢のように早く過ぎて、明日こそは生活を立て直そうと夜には決心するのに、結局次の日もあわただしくやってきてあっという間に夜になってしまうの繰り返しでした。そんなある日、私は息子の小学校の担任に懇談を申し込まれ出かけてゆきました。いわゆる「呼び出し」です。息子が集団生活では手に余る子どもであったのは私にもわかっていましたし、その年も、その前の年も、忘れ物だらけで宿題もやらないままであったのはじゅうじゅうに知っていました。ああ、また今年も担任に親子で一方的に説教されるのかと出かけて行った私に、その先生は毎日の生活の様子をたずね、なかば投げやりになっている私の話に根気よく耳を傾けてくれました。そして私の話が終わると「よくわかりました。とにかく毎朝出勤前にお子さんの健康状態だけを見てやってください。友達にうつすような病気や、大きな病気の兆候だけを見逃さないように毎日の体調をみて、健康であればお子さんを登校させてください。それだけで今は結構です。」とだけ言いました。意外そうに先生の顔を見つめている私に先生は続けました。

自分は生活に追われた状況で子育てをして子供を学校へ通わせるお母さん達にたくさん出会ってきましたから今のお子さんに必要なことがわかります。まず健康で毎日学校へくることです。お子さんには学校が必要です。それだけを今のあなたが助けてくれたら、やがてあなたに色々なことを建て直す体力がついてきます。そうなれば生活が回り始めます。あなたのような状況の母親に、自分の子供に人並みのことをしてやったらどうなんだと説法めいたことを言ってもなんにもなりません。最優先のことだけお伝えしましたからそれをやってください。学校へ来たらお子さんは担任の自分が引き受けます。先生は穏やかな口調でしたが、私の目を見つめてそう言いました。教室に入った時の夕闇はもうすっかり夜の闇になっていました。

 

その先生との出会いから、その先生の言葉を聞いてから、長い時間をかけて私は少しずつ生活を立て直してゆくことができるようになりました。大きな歯車を力一杯動かそうと四苦八苦していたのに、ただそれだけのことを心に留めるだけで小さな歯車が回り始め、やがてその小さな力が全体に行き渡り始めたのです。

 

子どもが小さい頃、自分が病気になったり、仕事との両立に悩んだり、子どもの発育や発達に振り回されたり、母親の心は千々に乱れるものです、乱れることに体力を消耗し、消耗したことが原因だと責められたりもするものです。どこかで生活を建て直してゆかなければ、自分が建て直しさえできればこの問題は解決して行けるのに、そう考えても一向に状況は変わらず、どんどん悪化してゆくことに目を向けず、逃げ出してしまうこともあります。そんな時は誰かにバッサリと整理をしてもらって、あれもできない、これもできないとサジを投げ始めている自分に、まず一つだけ最優先事項の小さなことからやりましょうと背中を押してくれる人が必要です。多くを望む前に、不安に押しつぶされそうになる前に、疲れ果ててサジを投げそうになる前に、自分を建て直して行くために。子育てでは「どうしてそうなったのか」を知ることも大事ですが、「どうしてゆくのか」が大事な時があります。「じゃあ、具体的にどうするか」みくま幼稚園をそうしたことを一緒に考える場所にしたい、幼稚園の運営をする中で、それも私の希望の一つになりました。

 

あの先生と話をしてから8年あまりすぎて私の息子は家から無事に巣立って行きました。今も達者に一人暮らしをしています。8年といえば長いけれど、正月が8回だけだったといえば短い時間だったのです。今の私に比べれば当時のあの先生は随分若い年齢でした。就業時間をすぎても私の事情をききたいと懇談のためにだけ夕闇の教室の中で私を待っていてくれたあの先生の姿を色あせることなく思い出すことができます。

今、ようやくこうして振り返ることができるようになり、感謝の気持ちいっぱいに思い出します。