
運動会に思う事
運動会と鉄棒、跳び箱、給食。この四つのない人生をひたすら模索した私が選んだのがこの職業、じつに皮肉なものです。この私がえらんだからこそ、子どもが幼稚園で過ごす時間を人生の糧に出来るように、幼稚園が子どもの人生に貢献できるような保育をするというのが私の発想です。まあ、アウトサイダーならではの発想が、本来のあるべき姿の考えと同じというのは妙なものです。
子ども達が集団の中で育ってゆく姿、我が子が育ったなあと思う背景には、たくさんの我が子の属する社会の仲間の存在があります。同世代の寄り集まっただけの集団が、身を預け合う、手を握り合う相手になり、仲間になってゆく時間、それが保育の時間です。
年長児になると、そのための時間が育ちとなって、その姿形となって目に見えるものがあらわれます。親にも確かな手応えが感じられてきます。子どもは、放っておいても、命があれば発育し、成長もします。しかし、大きくなって、できることがふえていく行程で、仲間とまで呼べる集団に身をおけるかどうかは子どもの人としての育ちに大きくかかわります。「みんなは一人のために、一人はみんなのために」その言葉が確かな喜びとなっていくことが大事です。子どもがみずから参加して達成したいと思うだけの集団に出会うかどうか、それが大事な行程です。年少、年中の時間はその蓄積の時間です。基盤をつくる体験の時間です。
先生達は仲間の一人として、子分のためなら火の中、水の中に飛び込んで助けにいく親分として、そして、生まれて初めて出会う最初の親友として子ども達に寄り添います。満足の行く結果がでなくても、我が子のみを見つめている親の目には不十分だと思っても、子ども達自身が自らの力で生きてゆけるようにと願う気持ちは、現場の先生も親も、幼稚園もかわらないように、先生達が成し遂げようと小さな仲間と懸命に取り組んだ方角は、絶対に子どもの将来に向かっていると私は実感しているのです。
みくま幼稚園が運動会を通じてなにをしようとしているのか、子ども達の人生にどのような貢献ができる保育をしようとしているのか、少しでも感じ取っていただけたら、それは大変幸せなことです。
今年の運動会には日が迫ってからの日程変更や、当日まで現地の状況がよめずにプリントが間際になりましたこと、また、会場では大変窮屈な場所であるにもかかわらず、多大なご理解、ご協力をいただきました。幼稚園と、そしてなによりも親元を離れて小さな世間に身を置いてがんばっている子ども達のために、たくさんの心配りを頂戴致しました。職員一同、心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

二学期も後半に入りました
二学期も後半、秋の子どもは育ち合う、春夏と個別に育っていた子どもが本当に仲間の中で育ち合うという姿がみられるのがこの季節です。この季節に起こる事柄をご紹介しておきます。まず、仲間の中で育ち合うというのはどういうことか、いいこと、わるいことがおこります。いいことが起こる原因も、悪いことが起こる原因も同じです。人と関わりたいという衝動です。親しみを感じる相手、好意を寄せる相手とより親密になりたい、親密な生活をしてみたいという社会性のなかでも最も大切な「誰かとハッピーにすごしたい」という気持ちが姿形に現れてきます。私たちはそこに、親に愛されて育った子どもたちの手ざわりを感じます。お母ちゃんの愛をいっぱいに注いでもらって大きくしてもらった子どもの手ざわりを感じます。
成功も失敗もおこります。もめ事もその逆もおこります。それらはすべて「相手がある」ということをわかるための作業であり、作業の目的は「人は人の中で育ち合う」ということです。
初めての子育てと一緒で、子ども達にとっては初めての事がおこります。見た事も聞いた事もないことを、いきなり本番でやっていきます。喜びがあるぶん苦労があって、葛藤があります。そして「失敗をしたことがある」ということが、やがて人生の財産にかわります。「成功した」ということは、「だんだんとできるようになったこと」だとわかります。
愚痴をきいて、はげまして、それでも幼稚園に行くあなたはえらいなあ、と感心をしてやってください。子どもが困っている姿をみて、解決してやりたいと思わない親はいません。解決のための手だてを考えておく事は大事です。しかし、それは大人のおなかにおさめておいて、とにかく、苦労をしながらやっている子ども達に共感してやっていただきたいと思います。共感をして、解決のために取り組んでゆく子ども達をあたたかく幼稚園に送り出す、お家に迎え入れる、そんな親の姿で支えてやってほしいと思います。

子育てで渡る川
人生は、雨が降ったら傘をさす。これが私の考えです。子育てもそんなふうにやってきました。というよりは、海賊船の中で子育てをしたような生活でしたので、ほかの選択肢は許されなかったと言い方が正しいかもしれません。迷いがなくてよかったね、ともいえますが、もう仕方なかったんだねともいえましょう。
親が自分の生き死にに必死で子どもはたまったもんじゃありません。毎日が綱渡りのようでしたが、もうここにいたると、子どもが可哀想とか、親としてどうなの、などとは言う余裕もあらず、親子共々スリルと興奮の綱渡りの日々でした。不自由はあったが不幸ではない、「むちゃくちゃだったけど面白かったなあー」と今でも子ども達は口にします。まあ、海賊船ですからね。
人生は基本、365日土砂降りと悟った私はいつも雨の中子どもとずぶぬれで走っていたように感じます。たまに雨が小降りになればありがたい、曇り空や晴れ間が見えたときは滅多にありつけない有り難さ、そんな気持ちにもなりました。
雨の中傘も持たずにぬれねずみで走り回る私たちを見るに見かねたのか、たくさんの人に傘を借りたような気がします。ただ私はとにかく子育てと仕事の両立に必死で生きていたもので、相手の名前をたずねることもせず、お礼も言わず、顔もみずに、時にはひったくるようにして人の傘を借りた事がありました。時には、必ず返します、と約束までしながら結局、返す事なく放り出した傘もありました。今、子育てが一段落して、私は少しその当時のことを思い起こし、かえりみることができる大人になったように感じます。あのときも、あのときも、誰かの傘を貸してもらってきたんだな、そのことがようやくわかってきたように思うのです。
借りた傘は、貸してくれた人をさがしあてて返すのではなく、また誰かに手渡してゆくもの。これからの時間は、手渡してもらったたくさんの傘を、また必要な誰かに手渡してゆく時間なんだなと感じます。渡された傘が、また誰かに手渡されていく、子ども達のリレーのバトンのように。
私はきっと、たくさんの傘をかりたから、たくさんの傘を手渡す事が出来るでしょう。
こんなことも、子育てがある人生の、幸せのひとつなのではないでしょうか。
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みくま幼稚園だより 2014年10月号1
みくま幼稚園だより 2014年10月号2