月別アーカイブ: 2015年1月

相手の話

相手があるやないか、よくそんなふうに怒られた気がします。

「相手がいるじゃないか、相手のある話だろ」と言われた場面を思い出してもよく思い出せません。ただ、自分の都合の良い解釈や、怒り心頭の自分に向けられた話であっても都合良く忘れてしまう私にとっては、けっこう心に残る言葉の一つであったように思います。

「いやいや、わかってますよ、相手の言い分はこうでしょう、私の言い分はこうだから見解がちがうのでしょう?」と言い返す私に、「相手がいるじゃないか」と注意した人は「ああ、この人はわかっていない」とあきらめ顔をしたものでした。それがあきらめ顔だったのか、怒りの顔だったのかわかりませんが、人としての成長がなければわからないんだこういうことは、というメッセージをその人は出していたようにも思います。今となっては、それは本当にあった事なのか、どこで誰に言われたかさだかではなく、私の物語の中でのことなのか、そんな気がするという思い込みかどうなのかわかりませんが、確かにいろいろな人がいろいろな言い方で、成長過程にあった当時の私にいろいろな人が「相手があることやないか」といさめたように思います。そして私は「なに言ってんだい、相手の言い分は理解できてるよ」とその言葉を文字の通りにしか知らずにおりました。

子どもを大きくする人生を卒業してから、私はしゃにむに探求をはじめました。体と心の勉強をはじめました。それは自分の感覚をみがく、目覚めさせる、一度も使わなかったかもしれない備わったもののすみずみにまで、意識を通わせ、神経がかよい、活力が通じる感触を通わせる作業で、様々なことをやりたいと思っていましたが何をやっていいかがわかりませんでした。

そんなある夜、なぜか棒がほしいと思った私は通販サイトで赤樫の棒を買い、家でふりまわして遊んでおりました。いい年をした大人が夜に棒を振り回す、なんだかおかしなことですが、なぜか無性に手に合った良い感触の棒が持ちたくて、何かに使いたくて棒と遊んでいたのでした。まもなく私はある人の紹介で、「感覚を磨きたければ、とても感性のするどい方がいる、一度お話をしてみたら知りたいことを知っているかもしれないし、勉強になるのではないですか」とお話をいただき、その方を訪ねていくこととなりました。

その人は武術の世界にいる方で、居合教室が終わる頃にひょっこりとやってきた私が「私は居合はやりません、剣術も武道もやりません、こんな私は何をしたらよいのでしょう」と唐突なことを訪ねると、たいへん愉快そうに私の顔を眺められて、「それはじょうです」と言われました。「じょうとは一体なんですか」と尋ねると、これです、と私が家でふりまわしているのとそっくりの棒を持ってこられました。「杖と書いてじょうと読みます、杖があなたによいでしょう」とその杖を私に渡されたのでした。

「じょうとは一体なんですか、じょうは私の手の延長ですか、それとも体とまったく別の道具ですか」と尋ねる私に先生はにこやかに「杖はあなたの仲間です、杖はあなたの相手です」と言われました。
一体この人は何を言っているんだ、と言葉の意味が汲み取れずにいた私は、「相手があるやないか」と言われた頃ときっと同じ心境、同じ姿であったと思います。そしてそんな私の姿と心境を、先生はよくご存知のことだったと思います。そんなことから、まずそこから、私と杖の付き合いが始まりました。

私はひょんなことから「杖(じょう)」という相手に出会い、「杖術(じょうじゅつ)」という世界に触れることになりました。そして根気よくお付き合いくださる先生から「杖」と「自分」の関係性、杖の動きとつきあい方を学ぶうち、様々いろんな出来事が私の身にもおこりました。それは日常生活でそれまでも起こってきた小さな出来事や、大事なこともありました。体で学んだ感覚が、だんだん日常の出来事のなかにもあるように感じられてくるのでした。そして、ある時に体の感覚で、「ああ、相手があるとはこういうことか」と知りました。それは言葉で説明しろと言われてもできにくく、根拠もない話のようでありましたが、確かに、ああ、自分は今ようやく知ったのだと感じたのでした。

杖の存在を意識していると、ある時、杖は羽のように軽くあり、またある時は私よりも重くなり、どこかへ行こうとしたり、戻ってこようとしたりしました。杖は私との関係性のなかで私とその重さや軽さ、方向方角を分け合います。私が杖を忘れてしまうと、私は一人ぼっちになりました。杖が私を忘れてしまうと杖は一人ぼっちになりました。「相手と言うのはこういうものか、仲間と言うのはこういうものか」知ってはいたけどどこかわかっていなかった私には、とても鮮明で衝撃的なことでした。思考と体がつながって、心身で「相手」というものを理解出来たと感じた瞬間でした。

子どもは体験を通じて学びます。子どもは実際の体験、ぬくもりや冷たさや、感じることでものごとを理解してゆきます。感じる事で、わけがわかってゆくのです。頭だけの知識ではなく、体と心を通じて、相手の中で育ち合う子ども達の姿を私は長年みてきたし、それは実際に自分と子どもが共に体験をして学んできた事でした。
そんな私が「相手がある」ということを頭だけでなく、体から感じてはっきりと意識をして、学んできた事をほんとうに理解するということをしたのでした。

「先生、杖をやって、初めて相手があるということがわかりました。相手があるというのはこういうことか、生まれて初めてわかりました」そう言った私を先生は、相変わらずにこやかにその姿を認めてくださいました。
最初の出会いのときに、杖はあなたの仲間です、あなたの相手です、私という相手に伝えた先生のメッセージを、ようやく、やっと、私がわかったのです。

「相手」という言葉には3つの意味があります。いっしょになって物事を行う者、対象とする者、対抗して勝負を競う者、そして私たち人間は関係性のなかで互いを映し合うのです。

私たちは自分で自分の姿がみえません。自分の姿は自分がいちばんわからないでいるものです。私たちは相手に自分を映します。相手と言う鏡に映った自分をみて自分をなぞっていくのです。

杖というもの言わぬ相手と組んで、杖は自分の中にあり、自分は杖のなかにあり、互いは心と体のように表裏一体で同一のもの、それらをわけあう相対のもの、それが少し体感できたように感じます。それは相手があることを知るための探求の旅のように思います。
海賊船の中のようなところで子どもを産んで、育ててきて、ただただ必死で子どもを育てて生き延びてきた。その道中で、あんなに子どもという相手と、互いを相手として存分につき合ってきた、向き合ってきた、育ち合ってきた事を今、感謝とともに思い起こします。子育てをするまでも、なんと多くの相手が私を許し、認め、受け入れてきたことでしょう、その積み重ねがあったからこそ、今の学びのなかで、体に入ってくる杖の感覚というものが、今までの人生の体験を「相手がある」という言葉でつなぐのでしょう。つないで、つながってゆくことで、人としての成長へと導いてゆくのでしょう。

「いかなる時も杖と私」、それはいかなる時も相手と私、相手はずっとそこにいる。
そのことにようやく気がついた「相手の話」
これは相手というものと出会った私の、ちょっととりとめのないお話です。

〜石田泰史先生に感謝をこめて〜

からだからだ

のびのびさせるとのびのびした子どもになる、これは親なら大多数の人が信じていること、子どもはのびのび育つのがよい、なんでって?そりゃあ、のびのびと育つから。体の育ちと心の育ちは連動している、それは子どもの場合は誰も疑わないといっていいでしょう。では大人は?体が育つと内面も成長する?成長のために筋力トレーニングをしています、スポーツをしています、などと言うと、ああ立派ですなあ、などと言われたりしますが、あれはあの人の物語であって、自分には当てはまらないんだよな、などと冷ややかに思っている人の方が多いように感じます。なにせ私もそうでした。

体と心は連動していると言われ、大人がみんな信じているのはストレス。ストレスで病気なる、寿命が縮むなどというネガティブなお話はすぐにもアタマに入るのに、ポジティブな話はなぜかあまり支持されない。ダイエットでやせてきれいになったら人生がかわって内面も美人になった、なんていうのは多くの信者を獲得しているのに。

30で第一子を生んで以来、自分は50歳になったら人生がかわるだろうと思っていました。20年間を子育てに捧げ、脇目もふらずに真剣勝負で海賊船の中のような生活で20年を生き抜いて、50になったその年に人生の転機がやってきました。

それまでほそぼそと、気分転換程度に体をつかって生きてきた私は、「生まれてから一度も使った事がない筋肉を一度だけでもすみずみまで使ってから、体のすみずみをきちんと意識してから死にたい」という祈願をたてて、その祈願へと導いてくれるトレーナー探しをはじめました。まあ、だいたいのフィットネスクラブにいる相手の反応は、とっさにアタマに浮かんだ言葉が顔に現れないように細心の注意をはらっている様子で、ようするに自分の手には負えませんよと言うわけでした。そんなこんなで、ようやくに、「おお、いいですね、できますよ」と二つ返事の師匠と巡り会う事が出来、私の体生活が始まりました。

親、兄弟よりもトレーナーと顔を合わせる生活、やみくもにカラダをつかう、カラダをきたえだして2年目に入ろうとしています。今が人生で一番、心身の統一具合がよろしい。
今の私の感想は、体と心は同じもの、同一のもの、ということです。

すみずみまで体が連動してつながると、こころ、精神、感情、気持ち、目にはみえない体の内部のすみずみにまで満ちていたのは、そうしたものであったのだという気持ちがするのです。体とむきあう、ということは自分と向き合うということです。自分と言う人間と向き合う対戦のようなもの、調和のようなもの。

ココロでもアタマからでもなく、カラダから。
子どもの育ちのように、カラダからはじめよう。

カラダが育てばココロが育つのは、子どもの特性ではなく、人間の特性だと私は信じることができるようになりました。残る時間、人は死ぬまで細胞を入れ替え、新陳代謝をくりかえしながら、総合的な個体として、その生命が亡くなるまで成長してゆく事ができる。それを自分という相手で証明してゆこうと思っているのです。

みくま編集会議 Vol.4

「場」

みなさん、こんにちは。
みくま幼稚園園長ブログの編集をしております松本です。

 毎月一度、このタイトルそのままの “編集会議”を安芸園長と行います。場所はファミリーレストランや園長お気に入りのイタリアン・バル。通常の会議なら議事にそっての進行となるのですが、そんな議事もなくゆるーく始まるのが常です。いつも話しのきっかけは、やはり“カラダとココロ”のことでしょうか。園長とは私の友人を通して知り合いました。「人見知り」とご本人が言われるように、初対面では会話リズムがなかなか取りにくいなぁ、というのが私の第一印象でした。初対面でのお話はカラダを鍛えるのが好きなこと、カウンセリングに興味があること。誰しも初対面でその人なりを全て知ることはできません、まずは表層の情報収集となるのが一般的です。しかし、その表層の隙間から感じる“この人おもしろそう!”と思える魅力が安芸園長にはありました。

 その後、1ヶ月に1度、編集会議でお会いするようになり、どうしてカラダの鍛錬をしているのか、その鍛錬がココロに繋がるのか。幼稚園の園長=子どもを守るという一般的な価値感では無く、幼稚園の園長だからことできる、子どもの母親の相談役、安心できる場をつくるための、器づくりを鍛錬されているのだということを理解しました。(あっているかなぁ?現時点での私の理解です)
「もがいて、もがいて、もがき抜いた人こそ、魅力的で強い」そんなことを以前、私に話してくださったことがありました。
もがきますよね、私もいつまでもがき続けるのだろうと思いながら生きています。たまに、吐き出したくなるとき、そんな場所があるといいなと思います。
安芸園長がめざす「場」づくり、まだまだ理解に至ってない編集長ですが、四方山話の編集会議を通して、理解し、みなさまにお伝えできるといいなと思っています。

26年度12月号

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冬休みがやってきます

 4月に始まった新学期が夏を越え、秋を越え、冬になりました。このお正月を超えたらあっという間に早春の頃、季節がようやくひとまわりします。年間の保育日数の半分を元気で登園できたらじゅうぶんですよ、といわれた年少組さんも次の桜の花の下では年中組さんの名札をつけます。年中組さんは待ちに待っていた年長へ、そして年長組さんはみくまから巣立つ日がやってきます。三学期はいちばん短い保育日数の学期です。そして一番かなめになる学期でもあります。過ぎ去る日が早いだけに、そして子ども達の育ちがその学年として最も成熟してくるだけに保育の密度も濃くなる学期です。こころして三学期の幕開けを迎えたいと思います。

 お正月は日本に残る年中行事のなかでも、まだ郷土色が残る昔ながらの行事といえましょう。子ども達が小さいうちは親戚があつまって、お年玉やかるたとり、子どもの話や家族の話、親戚が顔をあわせて食事をしたり、遊んだり、おじいちゃんおばあちゃんたちは忙しかったりうれしかったり、なつかしいにぎわいが帰ってきます。父方の故郷、母方の故郷、二つの故郷を持つ子ども達、二つの家の文化を受け継いでゆく子ども達、やがては自分の生まれ育った一つの家庭の文化を受け継いでゆくこどもたち、お正月は家庭の文化を継承する行事でもあります。
やがては受験や就職で集まる人数が少なくなるお正月の宴席を楽しんですごしてほしいと願います。そして、料理にのこる郷土色をおぼえていてほしい、なつかしい家のにおいとともに残してほしいと願っています。

行事に寄せて

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 子ども達一人一人を現場の先生達が毎日どんな密度で向き合おうとしているか、どれほどのことをやろうとしてやって来れたのか、その結実をかいま見る事ができる、それが行事であると思います。行事というきっかけのために、クラスが結束をしてのりきる、のりきった時に子ども達の中に、一隻の船で一つの海域を乗り切ったという達成感、充実感、そしてノウハウがみについてゆく、パートナーシップ、ヒューマンシップという仲間がいなければ身につける事が出来ないそんな実りが宿っている。行事と言うものはそのためのものだと考えています。家庭をでて、親元をはなれてみくま幼稚園へやってきたその日から、子ども達にとっては毎日が行事の日だともいえるでしょうか。

 生きておればいろんなことがある。生きておればこそいろんなことに出くわしながら、人は生きる時間を使って学んでゆく。相手に出会って、自分を映して、相手を通じて育ってゆく。みくま幼稚園の取り組みが、「みくまの保育」という日々の取り組みが、子ども達の人生の豊かな糧となりますように、お母ちゃん達の子育ての日々の確かな糧をなりますように、現場は一日も一時も手を抜かずに、充実した時間を生きようと懸命に子ども達と向き合います。

 今日と言う日までのあなた達のことをみてきた、今日と言う日までの子ども達の姿、お母ちゃん達の姿、先生達の姿、それらをつぶさに見て感じてともに歩いてきた、それらをすでに知っている、認めて受け入れて信じている、人が人を信じるということはそういうことかと感じています。人が人になにをしようとしているのか、保育と言う仕事はなんなのか、子育てをしているということはどういうことなのか、それを見つめて行きたいと願っています。

子育てで渡る川

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 東京の家の記憶の話です。当時はまだ昭和30年代、私は父の仕事の関係で東京の社宅に住んでいました。まだコンクリートの団地といわれるものが世の中には亡かった時代でしたので、長屋のように続く一軒家に住んでいました。私はその家で6歳まですごしましたが、なにせ子どもの事ですから、都合の良い事柄を都合の良い解釈に落とし込んだ思い出しかありません。東京の家での思い出でもっとも鮮明なのは、大阪への引っ越し前日のことです。3月23日のことでした。

 家の荷物出しを終えた頃、夕方の6時頃だったと思います。一人で好きな座敷にいた私はふとしたことで(じつに間抜けな姿勢をとろうと工夫したため)左の肘を脱臼しました。なにせ、引っ越しの前日の夕方、病院もしまっている時間帯でしたから泣きたかったのは母親だったと思います。泣きながら私は手をひかれ、近所の病院へ行きました。無人の病院をのぞき込んでいると後ろから忘れ物をとりに帰ってきた看護婦さんがやってきて、お困りでしょうと鍵をあけて、「もう先生方は皆さん帰られたのでどなたもおられないんです。」と落胆する母と泣いている私をみかねたのでしょう、事務室でなんとか紹介先をさがしてくれる事となりました。私は玄関に一人残されて立っていました。母と先ほどの看護婦さんがせわしなく電話をしたり話をしています。

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 そんな姿を見ていると、玄関の脇、病院の奥の通路から男の人がでてきました。眼鏡をかけて背広をきて、黒い革靴を履こうと靴べらをとって足をうごかしながら、「お嬢ちゃん、どうしたの」とにこやかにたずねます。手が痛い、と説明すると、その人は私の前に膝をついて、私の顔を見上げるようにして丁寧に説明をしてくれました。
「うん、左のここだね、折れてたらもっと腫れるし痛いんだよ、骨がつながってはまっているところがね、少し抜けたんだと思うよ、手をこうしてみてくれるかな。」おだやかな口調のその人は、私の手をていねいに少しねじると、私は自分の手が元通りになったことがわかりました。「ぬけていたんだね、もうなおった、じゃあね」そういってその人は玄関から出て行きました。目の前の事務室のガラス越しに母と看護婦さんの後ろ姿がみえていました。

 いれかわりに、あわただしく事務室から二人がでてきました。手がなおった経緯を説明しましたが、「もう誰も残っていませんでしたよ、私が最後で鍵をかけましたから。」と看護婦さんはゆずりません。忘れ物をとりにきた先生だろうと二人が言っても、病院の中にいたんだもん、病院の中からでてきたもん、と私がゆずりません。まあ、なんだかよくわからないけどよかったじゃない、と話はそこでおしまいです。翌日私は新幹線にのって、この大阪へ引っ越したのでした。母は最愛の弟の遺志を継いで、みくま幼稚園をはじめようとしていました。

 私はいつも子ども達、一人一人に向き合いたいと願ってきました。一人と一人で話をきいて、丁寧に相手の気持ちを汲み取って、自分の知識や技術や経験をいかして、そして本当の事をちゃんと伝えて、解決に導きたいと考えて、子どもと一対一で話をします。「これから大人になる今子どもであるあなたと、以前子どもだったことがある今大人のわたし」の二人で話をするのです。そうした話が終わった後で、ふと、これはあのお医者さんらしき男性が、ただ一人で困っていた私にしてくれた施しと同じ事ではなかったかと思うのです。あの人が私にしてくれたことを、私は保育を受けにきた子どもたち、子育ての相談をしにきたお母ちゃん達に同じようにしようとしている。そう感じるのです。私を見上げて丁寧に、大事に、対等に話をして施しをしてくれたあの人は、今も私の中にいるのです。

 3月の夕方の、寒い玄関に立っていた私の記憶は鮮明で、いまも寒い夕方になるとあの日の出会いを思い出します。眼鏡をかけて、グレイの背広を着て、黒い革靴をはいて、「じゃあまたね」とわかれた一人の大人が、6つのわたしに手渡していったもの。わたしはそれを今も大切に持っている、確かにここに宿している、冬の夕方になると思い出す、ちょっと不思議なおはなしです。

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みくま幼稚園だより 2014年12月号1
みくま幼稚園だより 2014年12月号2