

三学期というもの
学年のしめくくり、三学期のほぼ半分に近づいています。一番短い保育期間、いちばん濃厚な毎日の学期です。この時期は私たちのかなめとなる学期です。預かる事が出来た時間の中で、どれだけ一人の子どもと向きあって、育ちへのアプローチをかけることができるのか、なにを導いてなにを見守ってゆくのか、その成果を次の学年の先生へ引き継いでゆく時期でもあります。私たちは一人の子どもが、みくま幼稚園に入園をしたその日から、その一人の子どもの成長をどうしたかたちで育むか、現場は手だてをうってゆきます。子どもは一人一人が別人です。人間がちがいます。ですから343人の子どもに343通りの手だてをうってゆくのです。343人に幼いながらも社会人としての個別の指導をしてゆくのです。そして343人の子ども達が「みくま」という小さな世間に社会参加をして、自分たちのコミュニティを作り上げ、運営し、成熟させてゆくのです。そこで子どもが育ち合い、支え合い、与え合って、豊かな人生の時間をやりがいのある苦労とともに仲間と分かち合ってゆくのです。現場の先生達は、その仲間の一員として胸を張りながら、その夢と希望にむかって勤めを果たしてゆくのです。
やがてやってくる新年度にむけて、年少組の先生達は年中組の先生へたすきをつなぎます。年中組の先生達は年長組の先生へたすきをつなぎます。そして、年長組の先生達は子ども達一人ずつを就学先の小学校へ手渡して、お母さん達へたすきを渡してゆきます。みくまで過ごした、みくまで育まれた、そしてみくまへ我が子を託したお母ちゃん達の思いの全て、かけがえのない我が子を託された私たちの思いの全て、子ども達という仲間と過ごした思いの全て、それら全部が織り込まれたすきを、子ども達とお母ちゃん達へと、またわたしてゆくのです。今度は私たちが、みくまのたすきを託してゆくのです。渡す、託す、そしてつないでつむぐ、三学期というものは、そんな姿をしています。

ドッヂボールの季節です
年長組さんはこの時期はドッヂボールの季節です。触発された小さい学年も見よう見まねでやってはみますが、年長組さんのように、ルールのある遊びを楽しむところまではいきません。みくまという小さな社会を運営している子ども達の成熟期がやってきています。どんなに小さな社会でも、理の通らないことはおこります。それをどうしてやりこなしてゆくか、それでもどういう道を選択してゆくのか、そのきっかけとなる出来事は日常のなかで絶えずおこります。理不尽なことが起こりえない社会で成長する事は実際的ではありません。理不尽なことが理不尽な事だとジャッジをされて、では自分はこの身にふりかかった出来事とどう向き合ってゆくのか、自分はどういう人間になるのか、その選択をして、人としてあるべき方角へ進んでゆく体験をするということが大切なのです。私たちはそれをみちびき見守る良きジャッジ(審判)でもある事が求められるのです。
ドッヂボールの初期段階では、ルールが守れず我を通す子も、やがてはその我が通せなくなります。ボールがあたれば外野へ出なければならないけれど、当たっていないと言い張る子に、それまでは黙っていた物静かな子がある日「あたったぞ」と相手に言えます。「当たってない」と言い張っても、そこにいるみんながルールを守れよ、遊べないやないか、といった眼差しで「当たったら外野へでろよ」と、ある日口々に言い出します。決着がつくまでゲームは中断です。そうなるとボールに当たった子どもは仕方なくルールに従い外野へ行きます。しかし、やがては当たればすぐに、活気に満ちて外野へ行くようになります。チームの一員として外野へ行って仲間を助ける、ゲームを楽しむために速やかにゲームの進行をさせてゆく、みんなで楽しむ自分たちのゲームである事をだんだんと理解して、楽しめるようになるのです。チームプレーの喜びが、だんだん実現できてゆくのです。みくまの社会人として成熟したその姿があらわれてゆきます。
そしてその最年長の学年の仲間達の姿を、次の学年の子ども達がみています。まだできないけれど、その姿をしっかりとみて、知っておくのです。そして、知っているだけの物事を、やがて我が身に起こる様々な出来事を体験する中で、理解をして、認識をしてわかってゆくのです。来年の今頃の姿を思う、去年の今頃の姿を思う、一年の成長の姿に思いをよせる、ドッヂボールの季節はそんな季節です。

子育てで渡る川
協調性に欠ける、非社会的、反抗的、そんな評価を中学生のときにもらった記憶があります。もとより学校が嫌いなのですから、嫌いな相手にそう言われても本人は褒め言葉ぐらいにしか思っていません。まあ、そういうやりにくい子どもでありましたねえ、私は。今思い起こしても不遜きわまりない、親はどういう育て方をしてるんだと思われていたことと思います。
実際母親がいうところによると、個人懇談などにゆくとボロカスに言われたこともある、と話をしていたことがありました。それでも「うちの子どものいいところなんか親以外にわかるもんか」と逆に腹をたてて帰ってきた、と言っていましたから、まあ、おして知るべし。どっちもどっち。はた迷惑にしてもいい親子であったかもしれません。
そんな私が親になりました。学校嫌い大明神が産んだわけですから、我が子が学校へ行かないっ、幼稚園なんか行かないっ、なんて言い出したらどうしようとワクワクしておりました。その時、なんて言おうかしら、どんなスピーチをしてきかそうかしらなどと妄想して、なぜかワクワクしておったのでありました。しかし、あまりにも私との生活に手をやく子どもは二人とも、学校に行ける人生に意欲を感じ、「学校なんかやめさせてやるっ」と私が逆上すると「ああお願い、学校にいかせてください」などと息子に言われたときはどっちが大人かわからんな、と恥じ入ったものでした。こんな母親である上に、初めての子育てで育てられた息子の苦労はいかばかりであったかと思い至るようになったのも、ついこのごろの話なのです。

今にして思うとなぜあんなに学校が嫌いだったのかといわれると、関わりたい、参加したい思いの裏返しであったのかもしれません。しかし、音や感触に敏感で、ものにこだわって考えて、興味関心の対象への思い入れがことのほか強かった子どもであった私にとって、やればわかる、行けば入れるというやり方は乱暴で悲しいと感じるところであったのでしょう。なにか一段階の丁寧さがあれば、自分に手だてを打ってくれる人がその場所にいてくれたなら、その群れで楽しんで参加をする事ができたかもと思っていたのかもしれません。そして、自分だけの気持ち、自分だけの物語にどう向き合ってよいかわからずに、学校を嫌いになっていたのかもしれません。
子どもの時の気持ちは思い込みとなって残ります。ただの思い込みが、真実のように思い込まれて、その人の価値観にひびきます。耳をすますとかすかにその音が聞こえてくるように、何かの拍子に耳をすますと、その音がまだなり続けているような気がするものです。子どものときの思い込みは、大人になってからの行動心理に影響を与えています。しかし、それが幼い未熟な子どもであった自分が、事情や人の施しには気づかずに勝手に自分だけの物語を紡いでいたのだと理解をしたとき、周りの景色がみえたとき、してもらえなかった、してほしい、と悲しみ怒る自分が、してもらっていた、施してもらっていた自分であった、との気づきを経て、人は初めて大人になってゆくのでしょう。
子どもに親にしてもらう、それはまことに真理です。子どもが親にしてゆくのです。親になると言う事は、心理的な痛みが伴います。いつの日か元気で追い出すために、こうして一生懸命に慈しんで育んでいるのだと言う事はとても痛い事なのです。だからこそかけがえのない喜びもそこにあるのです。そして、いつの日か、様々な思いが混ざり合って迷ったときも、苦しんだときも、親が死んでもやってゆける子どもにしなければ、そのためにこうして自分が育てて行くのだ、自分はやってゆけるんだ、と覚悟を定めた親の思いに、子育てという取り組みの結実を見るものだと思うのです。そして子どもはいつの日か、親の気持ちをおもんばかる事が出来るようになった頃、それに値する体験の数をこなしたときに、自らもそうした覚悟にふれて、道を定めてゆくのだと思うのです。
親と子ども、相方であり、親友です。そして親と子という絆でむすばれた人生をともにする相手です。
振り返る事のない必死の日々で、そうした日々の中でこそ親子はすでに互いを信じ、認め、受け入れていること、すでに信じられて、認められて、受け入れられていることを感じてほしいと願います。

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みくま幼稚園だより 2015年1月号1
みくま幼稚園だより 2015年1月号2