月別アーカイブ: 2015年2月

1月誕生会のお知らせ

保護者様

みくま幼稚園
園長 安芸志穂子

 年が明けたら歳神様はゆずり葉にのっていらっしゃる。年中行事の中で、まだいちばん私たちの今の生活に色濃く残るお正月、お雑煮の作り方や味付けに、その姿が残っています。心をあらたに取り組む謹賀新年、私たちも次年度に託して行くもの、自分たちの年度に始末をつけておかないといけないもの、様々な課題に向き合う正念場の季節です。
 子ども達の仲間でできあがっているみくま幼稚園の共同体も成熟期を迎えます。仲間の中に身を置くことの大事な学びが個人という人それぞれの形で深まって行くのが3学期です。お客さんのように座っていた人が参加をするようになる、参加をして行く喜びや苦労を体験してやりがいをかんじてゆく、やりがいを感じる世界をどうやって守り、発展させ、自分が貢献できる喜びを感じるようになるか、その作業を見守る一年間、春には新たにみくま幼稚園の共同体に参加をしにくる新入園児を迎えます。してもらったことをしてかえす、してほしかったことをしてあげる、季節が一回りしたところに立っている子ども達、成長の中の、一回りまわって大きく育っている子ども達、その姿を楽しみに、これから土手の桜もつぼみを宿し、春をまっています。

 年長さんには最期のみくま幼稚園での冬が来ます。「いつだって、どんなときだって、いつも子ども達とともにあろう」みくまの先生達はいつも、いつまでも、ずっと子ども達とともにありつづけます。みくまのお母さん達がいつも、いつまでも、子ども達とともに走り続けて行くように。月日が過ぎて、その走る足取りが遅くなってしまっても、心はいつもそばにいて、はるかに見守っているように。私たちの手渡した小さなたすきがいつもいつまでもお母さん達の心の中にかかっているように。そして、親として、持って与えられた時間のかぎり、子ども達とともにいてくださるその姿のように。

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1月誕生会のお知らせ

12月誕生会のお知らせ

保護者様

みくま幼稚園
園長 安芸志穂子

 子どもの頃は一日がなかなか終わらなかったのに、大人になるとあっという間に一年が過ぎます。子どもの成長を見守る中で、あと10年と言われると気絶しそうに長い時間と思われるのに、自分の10年のなんという短さ。時間軸と自分軸の関係性はまことに不思議です。
3学期は年度のまとめ、その学年の集大成を迎える時期です。入園した時期は様々であっても、仲間のなかで育まれ、育ち合ったチームの力が、それぞれの子どもの人生の体験として蓄積されていきます。たかが幼稚園、そう思って子どもを入園させた保護者の方もおられたことと思います。しかし、されど幼稚園、私たちは、3歳からの学校という場所が、その人間の人生を変えることが出来る、こどもの人生に貢献できる体験学習の場であることを保育で証明したいと考えています。教育というものはなぜ必要なのか、なぜ子どもは学校へ行くのか、学校とはどんな場所でなにを果たすところなのか。私たちはそんな本質的な、根本的なことを基盤に保育を展開している小さな私立学校、みくま幼稚園です。

 年の瀬を控えた寒い季節、でも、家族が集う年末年始のにぎやかさをつれてきた赤ちゃんだった子ども達、親元をはなれて仲間の中で過ごすことから多くのことを学んでいるたくましくなってゆく子ども達、明日はもっといいことあるだろうと健やかに、お母ちゃんの愛に育まれて大きくなってゆく子ども達、お誕生会の日は、あたたかい拍手の中で子ども達のゆたかな将来をお祝いしたいと思います。

26年度1月号

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三学期というもの

学年のしめくくり、三学期のほぼ半分に近づいています。一番短い保育期間、いちばん濃厚な毎日の学期です。この時期は私たちのかなめとなる学期です。預かる事が出来た時間の中で、どれだけ一人の子どもと向きあって、育ちへのアプローチをかけることができるのか、なにを導いてなにを見守ってゆくのか、その成果を次の学年の先生へ引き継いでゆく時期でもあります。私たちは一人の子どもが、みくま幼稚園に入園をしたその日から、その一人の子どもの成長をどうしたかたちで育むか、現場は手だてをうってゆきます。子どもは一人一人が別人です。人間がちがいます。ですから343人の子どもに343通りの手だてをうってゆくのです。343人に幼いながらも社会人としての個別の指導をしてゆくのです。そして343人の子ども達が「みくま」という小さな世間に社会参加をして、自分たちのコミュニティを作り上げ、運営し、成熟させてゆくのです。そこで子どもが育ち合い、支え合い、与え合って、豊かな人生の時間をやりがいのある苦労とともに仲間と分かち合ってゆくのです。現場の先生達は、その仲間の一員として胸を張りながら、その夢と希望にむかって勤めを果たしてゆくのです。

やがてやってくる新年度にむけて、年少組の先生達は年中組の先生へたすきをつなぎます。年中組の先生達は年長組の先生へたすきをつなぎます。そして、年長組の先生達は子ども達一人ずつを就学先の小学校へ手渡して、お母さん達へたすきを渡してゆきます。みくまで過ごした、みくまで育まれた、そしてみくまへ我が子を託したお母ちゃん達の思いの全て、かけがえのない我が子を託された私たちの思いの全て、子ども達という仲間と過ごした思いの全て、それら全部が織り込まれたすきを、子ども達とお母ちゃん達へと、またわたしてゆくのです。今度は私たちが、みくまのたすきを託してゆくのです。渡す、託す、そしてつないでつむぐ、三学期というものは、そんな姿をしています。

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ドッヂボールの季節です

年長組さんはこの時期はドッヂボールの季節です。触発された小さい学年も見よう見まねでやってはみますが、年長組さんのように、ルールのある遊びを楽しむところまではいきません。みくまという小さな社会を運営している子ども達の成熟期がやってきています。どんなに小さな社会でも、理の通らないことはおこります。それをどうしてやりこなしてゆくか、それでもどういう道を選択してゆくのか、そのきっかけとなる出来事は日常のなかで絶えずおこります。理不尽なことが起こりえない社会で成長する事は実際的ではありません。理不尽なことが理不尽な事だとジャッジをされて、では自分はこの身にふりかかった出来事とどう向き合ってゆくのか、自分はどういう人間になるのか、その選択をして、人としてあるべき方角へ進んでゆく体験をするということが大切なのです。私たちはそれをみちびき見守る良きジャッジ(審判)でもある事が求められるのです。

ドッヂボールの初期段階では、ルールが守れず我を通す子も、やがてはその我が通せなくなります。ボールがあたれば外野へ出なければならないけれど、当たっていないと言い張る子に、それまでは黙っていた物静かな子がある日「あたったぞ」と相手に言えます。「当たってない」と言い張っても、そこにいるみんながルールを守れよ、遊べないやないか、といった眼差しで「当たったら外野へでろよ」と、ある日口々に言い出します。決着がつくまでゲームは中断です。そうなるとボールに当たった子どもは仕方なくルールに従い外野へ行きます。しかし、やがては当たればすぐに、活気に満ちて外野へ行くようになります。チームの一員として外野へ行って仲間を助ける、ゲームを楽しむために速やかにゲームの進行をさせてゆく、みんなで楽しむ自分たちのゲームである事をだんだんと理解して、楽しめるようになるのです。チームプレーの喜びが、だんだん実現できてゆくのです。みくまの社会人として成熟したその姿があらわれてゆきます。

そしてその最年長の学年の仲間達の姿を、次の学年の子ども達がみています。まだできないけれど、その姿をしっかりとみて、知っておくのです。そして、知っているだけの物事を、やがて我が身に起こる様々な出来事を体験する中で、理解をして、認識をしてわかってゆくのです。来年の今頃の姿を思う、去年の今頃の姿を思う、一年の成長の姿に思いをよせる、ドッヂボールの季節はそんな季節です。

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子育てで渡る川

協調性に欠ける、非社会的、反抗的、そんな評価を中学生のときにもらった記憶があります。もとより学校が嫌いなのですから、嫌いな相手にそう言われても本人は褒め言葉ぐらいにしか思っていません。まあ、そういうやりにくい子どもでありましたねえ、私は。今思い起こしても不遜きわまりない、親はどういう育て方をしてるんだと思われていたことと思います。
実際母親がいうところによると、個人懇談などにゆくとボロカスに言われたこともある、と話をしていたことがありました。それでも「うちの子どものいいところなんか親以外にわかるもんか」と逆に腹をたてて帰ってきた、と言っていましたから、まあ、おして知るべし。どっちもどっち。はた迷惑にしてもいい親子であったかもしれません。

そんな私が親になりました。学校嫌い大明神が産んだわけですから、我が子が学校へ行かないっ、幼稚園なんか行かないっ、なんて言い出したらどうしようとワクワクしておりました。その時、なんて言おうかしら、どんなスピーチをしてきかそうかしらなどと妄想して、なぜかワクワクしておったのでありました。しかし、あまりにも私との生活に手をやく子どもは二人とも、学校に行ける人生に意欲を感じ、「学校なんかやめさせてやるっ」と私が逆上すると「ああお願い、学校にいかせてください」などと息子に言われたときはどっちが大人かわからんな、と恥じ入ったものでした。こんな母親である上に、初めての子育てで育てられた息子の苦労はいかばかりであったかと思い至るようになったのも、ついこのごろの話なのです。

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今にして思うとなぜあんなに学校が嫌いだったのかといわれると、関わりたい、参加したい思いの裏返しであったのかもしれません。しかし、音や感触に敏感で、ものにこだわって考えて、興味関心の対象への思い入れがことのほか強かった子どもであった私にとって、やればわかる、行けば入れるというやり方は乱暴で悲しいと感じるところであったのでしょう。なにか一段階の丁寧さがあれば、自分に手だてを打ってくれる人がその場所にいてくれたなら、その群れで楽しんで参加をする事ができたかもと思っていたのかもしれません。そして、自分だけの気持ち、自分だけの物語にどう向き合ってよいかわからずに、学校を嫌いになっていたのかもしれません。

子どもの時の気持ちは思い込みとなって残ります。ただの思い込みが、真実のように思い込まれて、その人の価値観にひびきます。耳をすますとかすかにその音が聞こえてくるように、何かの拍子に耳をすますと、その音がまだなり続けているような気がするものです。子どものときの思い込みは、大人になってからの行動心理に影響を与えています。しかし、それが幼い未熟な子どもであった自分が、事情や人の施しには気づかずに勝手に自分だけの物語を紡いでいたのだと理解をしたとき、周りの景色がみえたとき、してもらえなかった、してほしい、と悲しみ怒る自分が、してもらっていた、施してもらっていた自分であった、との気づきを経て、人は初めて大人になってゆくのでしょう。

子どもに親にしてもらう、それはまことに真理です。子どもが親にしてゆくのです。親になると言う事は、心理的な痛みが伴います。いつの日か元気で追い出すために、こうして一生懸命に慈しんで育んでいるのだと言う事はとても痛い事なのです。だからこそかけがえのない喜びもそこにあるのです。そして、いつの日か、様々な思いが混ざり合って迷ったときも、苦しんだときも、親が死んでもやってゆける子どもにしなければ、そのためにこうして自分が育てて行くのだ、自分はやってゆけるんだ、と覚悟を定めた親の思いに、子育てという取り組みの結実を見るものだと思うのです。そして子どもはいつの日か、親の気持ちをおもんばかる事が出来るようになった頃、それに値する体験の数をこなしたときに、自らもそうした覚悟にふれて、道を定めてゆくのだと思うのです。

親と子ども、相方であり、親友です。そして親と子という絆でむすばれた人生をともにする相手です。
振り返る事のない必死の日々で、そうした日々の中でこそ親子はすでに互いを信じ、認め、受け入れていること、すでに信じられて、認められて、受け入れられていることを感じてほしいと願います。

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みくま幼稚園だより 2015年1月号1
みくま幼稚園だより 2015年1月号2

みくま編集会議 Vol.5

 みなさん、こんにちは。
 みくま幼稚園 園長ブログ「えんちょう つれづれ」の編集をしている松本です。
 「作法」を辞書でひもとくと、1.物事を行う方法。㋐きまったやり方。きまり。しきたり。
㋑起居・動作の正しい法式。「礼儀―」
㋒詩歌・小説などのきまった作り方。さくほう。
2.仏事を行う法式。葬礼・授戒などの方式、とある。
人に「作法」という言葉の印象はとたずねるなら、返ってくる答えは“かたぐるしい”“むずかしい”という感じではないでしょうか。私にとって「作法」とは合理的で美しく流れるように行う=機能美という言葉にいたります。

 安芸先生との編集会議では、必ず“カラダ”の話しが話題にあがります。先の会議では、カラダを使うにも作法があると聞いて、ふとある方のお茶時での立ち居振る舞いを鮮明に思い出しました。
 その方との出会いは、佃流の煎茶の席でした。お茶時というと千利休が様式を確立した“茶道”をイメージされる方が多いと思いますが、江戸後期、中国の文人に憧れた当時の芸術家達がサロンを開き、そこで楽しんだ煎茶が流派となったのが煎茶道です。私は佃流の文人花の稽古に通っていたご縁でお茶時にも参加させていただいていました。その身のこなしが美しい彼女はお手前ではなく、お運びをされていました。その立ち居振る舞いには無駄が無く、茶室に流れる空気を乱さない潔さがありました。日本には茶道・華道・書道・香道・武道といった「道」が名に付くものがあります。道すなわち宇宙観であり哲学。
その道を学ぶことで、人としての所作(生き方)を身につけるということだと思います。しかし初めから生き方に到達する人はいません。型を真似ることからはじめ、一つひとつ階段を登り、気づけはその「道」の所作が少しずつ身についていくもの。その長い道のりを導き、より高みに引っ張り上げてくれる師との出会いがあればこそ。私には、華の道を導いてくださった師匠でした。

 どんなものごとにも“道”があり、その生き様がその人のカラダに現れる。
安芸先生の言葉、人間の見えない部分(ココロ)がカラダで表される、つまりそれが「人となり」というお話がとても腑に落ちました。師匠の年齢が80歳を超え、私の諸事情もあり久しく花にさわることができていませんが、花鋏を持つと自然に手が動く。これが人生の幸せなのかもしれません。