26年度2月・3月号

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卒園の春、進級の春によせて

毎朝子どもを幼稚園へ登園させるということは大変な作業です。子どもは幼稚園は楽しい、幼稚園へ行きたい、と言ったとしても、それは毎朝さっさと身支度をして登園しなければ、という自主的な作業にはつながりません。お母さんはとにかく毎朝幼稚園の門まで、通園バスのバス停まで子ども達を連れてこなければなりません。ましてや行きたいと言う日ばかりではありません。ぐずる日や、お母さんとしては体調や様々なことをおもんばかりながら、それでも幼稚園へ行かなければ、と自分を励ましながらの朝もたくさんあったことと思います。こどもが自分の目の届かないところへ行く、二人きりで過ごしていた子どもをまだ見ぬ仲間のもとへ託してゆく、それは喜びと苦しみがいりまじるたいへんな仕事です。子ども達を幼稚園へ毎朝登園させていただきました。毎朝子ども達をみくま幼稚園へ託していただきました。たいへんな作業を様々な思いのなか、それでも子どもの成長をともに喜びをもって伝えてくださいました。私たちはこころよりお礼を申し上げます。

「木を植えた男」の話

みくま幼稚園には、パイプランドの後ろにどんぐりの木があります。すいぶん大きな木になりました。これはある男の子が植えたどんぐりから生えたどんぐりの木です。もうずいぶん前の話です。20年ほど前になるでしょうか。

「木を植えた男」と言う絵本が世に紹介されました。フランスのお話を日本語に翻訳され、アニメーションにもなりました。とても深い内容で哲学的な絵本でもあり、多くの大人にも支持された絵本の姿をした壮大な文学でありました。一人の男が荒れた土地にどんぐりの実を一つうずめます。地面に穴をあけては実を一つ落とし、土をかけて植えるのです。毎日、毎日、何年もの間。雨の日も晴れの日も。やがて小さな芽が地上に現れて、それを男は大切に守り育ててゆきます。やがてある旅人が美しい森を訪れます。数えきれないたくさんの生命を育む土壌となった美しい森です。それはあのどんぐりが木になって、森になっていた、そんなお話でした。当時の私は私は駆け出しで、何もわかって居ない若造でした。

男の子がお母さんと植木鉢のなかに植えたどんぐりの実が芽をだして、大好きな幼稚園に植えてほしいと持ってきてくれました。おうちで「木を植えた男」を読んだのです、そう言って大切に親子で持ってこられたのでした。そのことをクラスの先生は子ども達に話して、みんなで植えました。毎朝そのどんぐりに水をあげる子どもがいました。声をかけたり、友達を誘って見に来る子どもや、卒園の時にはお母さんと写真を撮りにやってくる姿もありました。その子ども達が幼稚園から卒園をしてもどんぐりの木は大事に育てられました。大きくなった卒園生が訪ねてきて、ああまだあるんだ、とその姿を喜びました。

ある日、みくまに勤めていた職員が訪ねてきました。ずいぶん以前に退職をして新天地へと旅立った思い出深い保育をした人でした。ある日ひょっこりと私に会いたい、話がしたい、と遠方から訪ねてきたのでした。もう一度、あなたと仕事がしたいと言い続けてきた私には懐かしい訪問でした。

久しぶりに会えた私たちはたくさんの話をしました。そして彼女は今、子どもの事、夫の事、家族の事で深い悩みがありました。もう大阪へ帰ろうか、みくまへとにかく行ってみよう、そんな思いで幼稚園の前の坂道をのぼってきたのでした。

帰る前にあなたのいた保育室を見に行こう、そういって二人で幼稚園の中を歩きました。「ああ、変わらない」そういって休日の保育室をのぞいたその人の顔はあの頃と同じでした。そして滑り台の後ろのどんぐりの木を前に、「ああ、まだあるんですね、こんなに大きくなっている」そう言ってどんぐりの木をなぜました。あの日、クラスの子ども達と植えたあの小さな芽が、こんなに大きく、自分が幼稚園を去った後も、季節の中で育っていった、自分にもたくさんの出来事があって、同じ季節をすごして行った、「ここにあなたと過ごした歳月がある」木はそんな言葉を語りかけてくれたように思いました。

「戻ってきたくなったら訪ねておいで、いつでもここにあなたの居場所がある」私はその人の肩を抱いてそう言いました。「もう少し、もう一度やってみます」そう言ってその人は涙を拭いて微笑みました。「じゃあ、またね」そう言って私たちは別れました。彼女はまた坂道を下って行きました。あの日と同じ背中がありました。

秋にはどんぐりの実を落としてたくさんの子ども達の声をきき、遊ぶ姿を眺めながら、みくまに植えられた小さなどんぐりの木。このただ一本のどんぐりの木を見るたびに、一冊の絵本に書かれたお話を思い出すのです。深い物語に心が通じてゆくように思うのです。そして、この幼稚園を去ってゆくこの幼稚園で過ごしたすべての人間に、「戻ってきたくなったら戻っておいで、いつでもここにあなたの場所がある」そう語りかけているように思うのです。

子育てで渡る川

こんな仕事をしていると幼稚園の行事はこなしていても自分の子どもの行事などほったらかしになるものです、それでなくても器用な人間ではないわたしとっては、子育てと仕事の両立のなかでも、こどものマネージャー業ほど苦手なものはありませんでした。

とにかく、くつを脱いだら職場の事は綺麗さっぱりと忘れてしまい、職場に行った記憶すらありません。そしてくつをはいて家からでると、もう自分に子どもがいることすら忘れてしまうような有様でした。そうして私も子どもも病気もせず、大きなストレスに不調を訴えることもなく、そんな形で身を守りながら人生でもっとも忙殺される時期を生き延びて、仕事も子育てもなんとか続けてゆくことが出来たのだと思います。

息子は18になった年、一人暮らしをさせてくれと頼みにきました。おまえには苦労をかけたから、早く自由に生きなさい、そういって送り出しました。自由になって責任をもって、はじめて親と対等になる、はじめて「やってあげてる、やってもらっている」の関係から人としての対等な親子関係を始めることができる、そんな思いがありました。そしてなによりも、海賊船のなかのようなところで子どもを育て、仕事を続け、いつも全力で生きてきたので、親子ともに一片の悔いはありませんでした。ただただ夢中で無茶苦茶でしたが、「あんなに無茶苦茶だったけど、おもしろかったなあ」と、いつも親子は互いの存在に満足していましたから。

大人に近づいて独立をする、子ども達が家からいなくなる。どこかで元気に、親のことなどすっかり忘れて元気に生き生きとやっている。苦労をしても明日いいことあるだろう、とあのときと同じように朝を迎えてくつをはく。そこにいなくても、子ども達のにおいが少しずつ家の中から消えていっても、どこかであのときの時間が続いている。命がある限り続いていく。

いのちが命を産んで育ててゆく作業のなかで、子どもの時代をもう一度生きる事ができたこと、そして今もその自分と向かい合っていきてゆくということ。今は愛おしく思います。過ぎた時間が、自分のなかで、ゆっくりと腑に落ちてゆくことを感じます。そして、今年も桜の花の下、幼稚園から旅立ってゆく子ども達、お母ちゃん達の背中を見送ります。

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みくま幼稚園だより 2015年2月・3月号1
みくま幼稚園だより 2015年2月・3月号2