みくま通信 4・5月号

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みくまライフがはじまりました

進級式がおわってクラス替え、あたらしい土地で新しい仲間をみつけた転入の子ども達、あたらしい友達と出会う進級児たち、桜が散ってしまった後にみくま幼稚園えは春のにぎやかさが訪れます。進級した子ども達はおだやかだけど新しい環境にむけての活気に満ちたエネルギーを発します。みくまのあたたかな群れにあらたな活気に満ちた春がやってきます。新たな仲間、新たな居場所づくり、新たになることの喜びと、予測がつかないという心配と。私たちはそれらを大切に導きます。

 やがて新入児たちがやってくる入園式。幼稚園に行くのは楽しくても、こんなに毎日、ずっと行くものだとは考えてなかった新入児たち。なれない新入園児の手をひいて、保育室までつれて行く進級児達も、去年は連れて行ってもらった人たち、あるいは去年は初めて連れてゆく側にたった子ども達です。ただ一年、季節が一巡りをしただけで、こんなにも育った姿を目の当たりにする私たち、3月の学期末の記憶がまだ新しい私たち、ともに過ごして育ってきた自分たちと子ども達、かけ足で、時には立ち止まりながら、ともに過ごしてきた充実した時間はこんなにも満ちていたのかと、去年の四月の姿をもう思い出せないほどにしてしまった子ども達の姿に、どんなに幼くとも人はしてもらったことをしてかえすことができるということを目の当たりにします。

 今年も120人あまりの子ども達がみくま幼稚園本科へ、そして40人の子ども達が子育て支援科のこぐま組へあらたに加わりました。388人のみくまライフのスタートです。子ども達一人一人のお母ちゃん達とのみくまライフがはじまります。私たちといっしょに、私たちとともに、こどもを育てて参りましょう。

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西丘小学校の建替え事業がはじまりました

 平成27年4月からみくま幼稚園お隣の西丘小学校の建替え事業がはじまります。工期は2年以上を要する大工事、小学生たちは運動場敷地の仮設校舎ですごすなかでの事業です。耐震構造のための工事であれば、それはやらなければならない工事です。地震がおこれば死んでしまうかもしれないとわかっている器に子ども達を通わせることは許されるべきではありません。工事が早く、そして安全におわることを心から願ってます。

  広い敷地と言えども隣地のことですから、みくま幼稚園もたくさんの子ども達をあずかる以上、教育環境の保証を願い出なければなりません。子ども達の生活の場をまもってゆくのが私たちの勤めです。構想段階から豊中市教育委員会とは話し合いをかさねて、かねてからそのためのご配慮をいただいてきましたが、このたび、工事の開始をうけていま一度みくま幼稚園園長より要望書を提出いたしました。みくま幼稚園の教育環境にご配慮をいただく事、そして立て替えが終了したときにはお互いの器をこえて、さらに子ども達が育ってゆくこの地域が良いものになりますようにと願いをこめました。そして今こそ大人達が、こうした状況だからこそ子ども達のためにできること、それぞれの立場をこえて、子ども達に願うことのために、勤めを果たしてゆける機会となりますよう、豊中市と協力をして、それぞれの子ども達の育ちを見守って、子育てをしてゆく環境を守ってゆきたいと考えています。
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子育てで渡る川

   幼稚園に出勤をして、事務所にすわっていると、次から次へといろんな相手がやってきます。私の席の机のむこうに椅子があるといたしましょう。そこに「出来事」が座ります。ひょっこりと座ったり、待ちかねていたり、予測通りだったり、まったくの不意打ちであったりと、様々な姿で現れて、私の前に座るのです。私はその出来事に最大最善の一手を打つべく、あい対する席に座っているのです。

 楽勝もあれば、惜敗もあります。地団駄ふんで悔しがる事もあれば晴れ晴れと実も心も軽くなるときもありました。勝てば気が済む、負ければ引きずるの繰り返しであったようにも思います。苦しいけれどもやりがいというものが流れていたし、その流れの源には自分に出来る事がどれほどか試してみたいといった気持ちがわいていたようにも思います。それが若さゆえであったのか、そうしたことが必要な時期であったのか、とにかく来る日も来る日も子どもを育てながらこうした仕事でフルタイムワーカーをしている時期の事でしたから、公私にわたり24時間、息をするように片っ端から家でも職場でもところかまわず、おこった出来事と対戦するといった生活を送っていたのでした。

  私の人生から子どもを大きくするという優先事項が去り、対戦ざんまいの生活に一段落がつきました。あとは人として育つ出来事がおこるたびに、必要な助言をして見守って、離れていてもいつも心は共にある、そんな調子でゆけるでしょう。今になって、小さな子どもを一生懸命に育てている、そんなお母ちゃん達をみていると、私もあなたのようだったのだと、それまでではできなかった対応が出来るようにもなりました。勝ち負けではなくて、もっともっといろいろな、たくさんのものごとがひろえて、つなげて、腑に落ちて、導かれて導いてゆくことができるようにもなりました。そのときの私は50歳をすぎていました。長い時間をかけて、様々な出来事を通じて、人は育ってゆくのです。

 みくま幼稚園の事務所に座っていると、様々な事情の子ども達がたずねてきます。なかには、面白ければブレーキをかけることができない、楽しければやっていいことも悪い事もわからなくなる、わかっていてもやめられないなど、ようするに、叱られてジムショに連れてこられたという姿の子ども達もやってきます。人が心豊かに生きて暮らしておればおこってゆく様々な、無数にちかい数の出来事がみくま幼稚園の生活のなかでも子ども達の身の上におこってゆくのです。

  連れてこられた子ども達には、おこったきっかけや、出来事をおこした目的や、できごとの状況をたずねます。それがみくまルールではどうしたことであるのかをジャッジをしてきかせます。先生達の指導を、子どもが学ぶかどうか、それは生きた本物のルールがそこに流れているかどうかで決まります。ルールに命が宿っているかどうか、それは出来事という鏡を通じて映し出される先生たちの心の底に「子どもに願う姿」があるかどうか、「人として豊かな人生を生きていってほしいとその子の将来を願う姿」それがあるかどうかが問われていることなのです。それは必死に子どもを育てているとき、いつもふと思い返したように、気がつけば座っていた机の向こうの相手でもありました。

  子どもを育てていると、子どもをよくみていても、それは子どもにうつりこんだ自分でもありました。必死に取りすがる相手は自分自身でもありました。そうやって子どもに育ててもらったのでした。

 「園長先生と約束しよう」そう言って差し出した手のひらに子どもがそっと手を重ねる時、願いがかなう、きっと祈りは通じてゆく、お母ちゃんに握りしめられてきた小さな手には、きっとそれらが宿っている。小さな手から伝わってくるその小さな力の源に、確かに触れて、私はそれを信じるのです。

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みくま幼稚園だより2015年4月・5月号1
みくま幼稚園だより2015年4月・5月号2