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みくま通信  28年度 4月号

 

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「みくまライフが始まります」〜船とせんべいと得手不得手〜

いまのお母ちゃんはえらいな、いつもしみじみ感じています。

いまは子育ては孤育てなどと言われる時代です。生まれて初めて子どもを産む人がマンションの一室で子どもと差し向かいで子育てをして、自分の力で人とつながって、情報を得て、幼稚園までの3年、4年を頑張り抜いて入園を迎える。
子どものためになりますように、子どものためでありますように、そう願いながら幼稚園の船がやってくる港に親子でたどりつく。そのお母ちゃんたち、子どもたちをのせて桜の頃にみくま号は船出します。一年間の航海にでるのです。
春夏秋冬の季節を超えての船旅が始まります。

私は、できないことを嘆くより、できることを実感してゆけるようものごとを考えます。それは苦手なことを多かった私のような子どもにとって、苦手なことを特訓で克服するというのはたいへん無理な話だと実感してきたからでしょう。大人が私の不得手ばかりに執着する、それがわずらわしいと感じていた子どもでした。

苦手のひとつにせんべいがありました。食べる「煎餅」です。
これは学校以外の場所での苦手です。
あなたは小さい頃から「うるさい」とよく言った、親にそう言われたことがあります。音がうるさい、と訴えるわけです。家の中の掃除機の音や、洗濯機の脱水の音、水洗便所の流水音が苦手でした。とくに、せんべいやおかきを食べている人はみているだけで恐ろしくなったものでした。離れて座っている私にも噛み砕く音が聞こえて来る。あんなものを噛み砕いたら、きっとダイレクトに鼓膜にひどい振動があるだろうし、自分以外の人間にもきこえるほどの音が自分の口の中でおこるのだと思うだけで食べられず、せんべいぎらいの子どもでありました。

私がそれを克服したのは20歳の時です。ある日徹夜で染色をしていた時、(私は大学で染織専攻だったので)皆の食料が尽き、仲間が持っている食物はせんべいだけでした。一袋のせんべいを皆で均等にわけました。お腹が空いていたし、仲間に申し訳ないと思った私は、自分に向き合いました。私はもう小さな子どもではないのだと言い聞かせたのです。
「食べても鼓膜が破れるわけでないし、脳が損傷を受ける訳ではない、皆が食べているなら同じ構造の体を持つ私にも食べることは可能なのだ。」私はじっと考えて口に入れ、自分がせんべいをかみくだく音を自分の耳でじっとききました。なにも起こりませんでした。こうして私はせんべいを噛み砕く音が鼓膜に響くことを楽しめるようになり、せんべいが好きになりました。自分が少し大人になった気がしたものです。

人間には得手不得手(えてふえて)というものがあります。長所、短所があります。親であれば、子どもの苦手ははげまして、親身に助けてやるのがよいと私は思います。でもそれ以上に、子どもの得意を認めて尊重してやって、「得手が伸びれば不得手がついてくる」そんな気持ちで子どもの不得手に付き合ってほしいと願います。

親はいつの時代も子どもの将来を案じるもの、子どものためだと言ってはいても、親は自分が安心したいがための苦手つぶしをする気持ちと向き合わねばなりません。私がせんべいぎらいを克服できたのは、私が成長するまでの長い体験を蓄積する時間があったからだと感じます。子どもが自力で解決できるほどに実力をつけてゆくまでの長い時間、つきあう覚悟をしなければならないこともあるものです。

みくま幼稚園に子どもたちがやってきて、みくまライフが始まります。得手不得手をもちあう仲間とこれから作っていくのです。今度はお母さんとは違う相手と自分の世界をつくってゆく、家に帰ればお母さんとその世界を分かち合う、そんな生活がはじまります。生まれて初めて子育てをしているお母ちゃんに愛されて、求められて、認めてもらってきた子どもたちが、仲間とつくってゆく時間が始まります。

今年度新学期はとてもおだやかな船出であったと感じます。みくまの仲間と、みくまライフが始まります。