みくま通信 11月号

 

「大きな歯車を小さな力でゆっくり満たして回してゆく話」

 

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50年ほど昔、母に連れて行かれた小児科で、母は先生に「お子さんは滲出性体質(しんしゅつせいたいしつ)かもしれません。」と言われました。外部刺激に対して異常に敏感で滲出性反応をおこす体質で、乳児、幼児に多く、小さな傷でもリンパ節が腫れやすく、下痢、喘息性気管支炎などの症状が出る体質らしいのですが、半分は当てはまり、半分は当てはまらず、診断が本当かどうか確かめられないまま大きくなり、年を経るに従って何かと自分で対処できることも増えて、自分の体質に振り回されることも減り、十代が終わる頃には「小さい時には手のかかった子」として落ち着いてしまいました。

 

母親は大変だったろうと思い起こすのは、化学繊維のぬいぐるみを抱いては湿疹が出て、毛糸のセーターを着ては首元が腫れ、急に足の指先の皮がむけてきたり、夏には謎の発疹が出たり、冬にはお尻や太ももが真っ赤に腫れあがるようなじんましんが出たりと、とにかくどこかに何かしらの不調があっていそがしく、これと言う原因もわからず、当時は子育ても幼稚園の事業も必死であった母親でしたが、必死で余裕のないこうした母親が相談にゆくと言われる助言は今も昔も残念ながら「お母さんが無理をすると子どももしんどくなりますよ。」というものではないでしょうか。原因は「愛情不足」、暗にそういうことを言われ続けた母のことを思うと大変申し訳なく気の毒に感じます。当時の母も、きっと自分の無理は十分わかっていたのだろうと思うからです。

 

あの頃、まだ若かった母が仕事も家事も必死でやりくりする状態で、夕飯時には母がいないこともありましたし、手のかかる私に疲れた母が不機嫌に怒ると「別に私が働いてくれって頼んだわけじゃないのになあ。」と不満を感じたものですが、なんだかんだと小さな出来事こそあれ大事には至らず、親子にはすったもんだはありましたが、私は両親に守られて、将来は親元を離れて独立できるようあたたかく家庭教育を施され、手をかけて育てられた幸せな子どもでしたし、母は母なりのやり方で子育てを一生懸命していたと今こそ実感しています。

 

40歳を過ぎた頃、私は仕事も子育てもできかねていました。とにかく毎日は無情に、矢のように早く過ぎて、明日こそは生活を立て直そうと夜には決心するのに、結局次の日もあわただしくやってきてあっという間に夜になってしまうの繰り返しでした。そんなある日、私は息子の小学校の担任に懇談を申し込まれ出かけてゆきました。いわゆる「呼び出し」です。息子が集団生活では手に余る子どもであったのは私にもわかっていましたし、その年も、その前の年も、忘れ物だらけで宿題もやらないままであったのはじゅうじゅうに知っていました。ああ、また今年も担任に親子で一方的に説教されるのかと出かけて行った私に、その先生は毎日の生活の様子をたずね、なかば投げやりになっている私の話に根気よく耳を傾けてくれました。そして私の話が終わると「よくわかりました。とにかく毎朝出勤前にお子さんの健康状態だけを見てやってください。友達にうつすような病気や、大きな病気の兆候だけを見逃さないように毎日の体調をみて、健康であればお子さんを登校させてください。それだけで今は結構です。」とだけ言いました。意外そうに先生の顔を見つめている私に先生は続けました。

自分は生活に追われた状況で子育てをして子供を学校へ通わせるお母さん達にたくさん出会ってきましたから今のお子さんに必要なことがわかります。まず健康で毎日学校へくることです。お子さんには学校が必要です。それだけを今のあなたが助けてくれたら、やがてあなたに色々なことを建て直す体力がついてきます。そうなれば生活が回り始めます。あなたのような状況の母親に、自分の子供に人並みのことをしてやったらどうなんだと説法めいたことを言ってもなんにもなりません。最優先のことだけお伝えしましたからそれをやってください。学校へ来たらお子さんは担任の自分が引き受けます。先生は穏やかな口調でしたが、私の目を見つめてそう言いました。教室に入った時の夕闇はもうすっかり夜の闇になっていました。

 

その先生との出会いから、その先生の言葉を聞いてから、長い時間をかけて私は少しずつ生活を立て直してゆくことができるようになりました。大きな歯車を力一杯動かそうと四苦八苦していたのに、ただそれだけのことを心に留めるだけで小さな歯車が回り始め、やがてその小さな力が全体に行き渡り始めたのです。

 

子どもが小さい頃、自分が病気になったり、仕事との両立に悩んだり、子どもの発育や発達に振り回されたり、母親の心は千々に乱れるものです、乱れることに体力を消耗し、消耗したことが原因だと責められたりもするものです。どこかで生活を建て直してゆかなければ、自分が建て直しさえできればこの問題は解決して行けるのに、そう考えても一向に状況は変わらず、どんどん悪化してゆくことに目を向けず、逃げ出してしまうこともあります。そんな時は誰かにバッサリと整理をしてもらって、あれもできない、これもできないとサジを投げ始めている自分に、まず一つだけ最優先事項の小さなことからやりましょうと背中を押してくれる人が必要です。多くを望む前に、不安に押しつぶされそうになる前に、疲れ果ててサジを投げそうになる前に、自分を建て直して行くために。子育てでは「どうしてそうなったのか」を知ることも大事ですが、「どうしてゆくのか」が大事な時があります。「じゃあ、具体的にどうするか」みくま幼稚園をそうしたことを一緒に考える場所にしたい、幼稚園の運営をする中で、それも私の希望の一つになりました。

 

あの先生と話をしてから8年あまりすぎて私の息子は家から無事に巣立って行きました。今も達者に一人暮らしをしています。8年といえば長いけれど、正月が8回だけだったといえば短い時間だったのです。今の私に比べれば当時のあの先生は随分若い年齢でした。就業時間をすぎても私の事情をききたいと懇談のためにだけ夕闇の教室の中で私を待っていてくれたあの先生の姿を色あせることなく思い出すことができます。

今、ようやくこうして振り返ることができるようになり、感謝の気持ちいっぱいに思い出します。