カテゴリー別アーカイブ: みくま通信平成26年度

みくま通信 4・5月号

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みくまライフがはじまりました

進級式がおわってクラス替え、あたらしい土地で新しい仲間をみつけた転入の子ども達、あたらしい友達と出会う進級児たち、桜が散ってしまった後にみくま幼稚園えは春のにぎやかさが訪れます。進級した子ども達はおだやかだけど新しい環境にむけての活気に満ちたエネルギーを発します。みくまのあたたかな群れにあらたな活気に満ちた春がやってきます。新たな仲間、新たな居場所づくり、新たになることの喜びと、予測がつかないという心配と。私たちはそれらを大切に導きます。

 やがて新入児たちがやってくる入園式。幼稚園に行くのは楽しくても、こんなに毎日、ずっと行くものだとは考えてなかった新入児たち。なれない新入園児の手をひいて、保育室までつれて行く進級児達も、去年は連れて行ってもらった人たち、あるいは去年は初めて連れてゆく側にたった子ども達です。ただ一年、季節が一巡りをしただけで、こんなにも育った姿を目の当たりにする私たち、3月の学期末の記憶がまだ新しい私たち、ともに過ごして育ってきた自分たちと子ども達、かけ足で、時には立ち止まりながら、ともに過ごしてきた充実した時間はこんなにも満ちていたのかと、去年の四月の姿をもう思い出せないほどにしてしまった子ども達の姿に、どんなに幼くとも人はしてもらったことをしてかえすことができるということを目の当たりにします。

 今年も120人あまりの子ども達がみくま幼稚園本科へ、そして40人の子ども達が子育て支援科のこぐま組へあらたに加わりました。388人のみくまライフのスタートです。子ども達一人一人のお母ちゃん達とのみくまライフがはじまります。私たちといっしょに、私たちとともに、こどもを育てて参りましょう。

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西丘小学校の建替え事業がはじまりました

 平成27年4月からみくま幼稚園お隣の西丘小学校の建替え事業がはじまります。工期は2年以上を要する大工事、小学生たちは運動場敷地の仮設校舎ですごすなかでの事業です。耐震構造のための工事であれば、それはやらなければならない工事です。地震がおこれば死んでしまうかもしれないとわかっている器に子ども達を通わせることは許されるべきではありません。工事が早く、そして安全におわることを心から願ってます。

  広い敷地と言えども隣地のことですから、みくま幼稚園もたくさんの子ども達をあずかる以上、教育環境の保証を願い出なければなりません。子ども達の生活の場をまもってゆくのが私たちの勤めです。構想段階から豊中市教育委員会とは話し合いをかさねて、かねてからそのためのご配慮をいただいてきましたが、このたび、工事の開始をうけていま一度みくま幼稚園園長より要望書を提出いたしました。みくま幼稚園の教育環境にご配慮をいただく事、そして立て替えが終了したときにはお互いの器をこえて、さらに子ども達が育ってゆくこの地域が良いものになりますようにと願いをこめました。そして今こそ大人達が、こうした状況だからこそ子ども達のためにできること、それぞれの立場をこえて、子ども達に願うことのために、勤めを果たしてゆける機会となりますよう、豊中市と協力をして、それぞれの子ども達の育ちを見守って、子育てをしてゆく環境を守ってゆきたいと考えています。
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子育てで渡る川

   幼稚園に出勤をして、事務所にすわっていると、次から次へといろんな相手がやってきます。私の席の机のむこうに椅子があるといたしましょう。そこに「出来事」が座ります。ひょっこりと座ったり、待ちかねていたり、予測通りだったり、まったくの不意打ちであったりと、様々な姿で現れて、私の前に座るのです。私はその出来事に最大最善の一手を打つべく、あい対する席に座っているのです。

 楽勝もあれば、惜敗もあります。地団駄ふんで悔しがる事もあれば晴れ晴れと実も心も軽くなるときもありました。勝てば気が済む、負ければ引きずるの繰り返しであったようにも思います。苦しいけれどもやりがいというものが流れていたし、その流れの源には自分に出来る事がどれほどか試してみたいといった気持ちがわいていたようにも思います。それが若さゆえであったのか、そうしたことが必要な時期であったのか、とにかく来る日も来る日も子どもを育てながらこうした仕事でフルタイムワーカーをしている時期の事でしたから、公私にわたり24時間、息をするように片っ端から家でも職場でもところかまわず、おこった出来事と対戦するといった生活を送っていたのでした。

  私の人生から子どもを大きくするという優先事項が去り、対戦ざんまいの生活に一段落がつきました。あとは人として育つ出来事がおこるたびに、必要な助言をして見守って、離れていてもいつも心は共にある、そんな調子でゆけるでしょう。今になって、小さな子どもを一生懸命に育てている、そんなお母ちゃん達をみていると、私もあなたのようだったのだと、それまでではできなかった対応が出来るようにもなりました。勝ち負けではなくて、もっともっといろいろな、たくさんのものごとがひろえて、つなげて、腑に落ちて、導かれて導いてゆくことができるようにもなりました。そのときの私は50歳をすぎていました。長い時間をかけて、様々な出来事を通じて、人は育ってゆくのです。

 みくま幼稚園の事務所に座っていると、様々な事情の子ども達がたずねてきます。なかには、面白ければブレーキをかけることができない、楽しければやっていいことも悪い事もわからなくなる、わかっていてもやめられないなど、ようするに、叱られてジムショに連れてこられたという姿の子ども達もやってきます。人が心豊かに生きて暮らしておればおこってゆく様々な、無数にちかい数の出来事がみくま幼稚園の生活のなかでも子ども達の身の上におこってゆくのです。

  連れてこられた子ども達には、おこったきっかけや、出来事をおこした目的や、できごとの状況をたずねます。それがみくまルールではどうしたことであるのかをジャッジをしてきかせます。先生達の指導を、子どもが学ぶかどうか、それは生きた本物のルールがそこに流れているかどうかで決まります。ルールに命が宿っているかどうか、それは出来事という鏡を通じて映し出される先生たちの心の底に「子どもに願う姿」があるかどうか、「人として豊かな人生を生きていってほしいとその子の将来を願う姿」それがあるかどうかが問われていることなのです。それは必死に子どもを育てているとき、いつもふと思い返したように、気がつけば座っていた机の向こうの相手でもありました。

  子どもを育てていると、子どもをよくみていても、それは子どもにうつりこんだ自分でもありました。必死に取りすがる相手は自分自身でもありました。そうやって子どもに育ててもらったのでした。

 「園長先生と約束しよう」そう言って差し出した手のひらに子どもがそっと手を重ねる時、願いがかなう、きっと祈りは通じてゆく、お母ちゃんに握りしめられてきた小さな手には、きっとそれらが宿っている。小さな手から伝わってくるその小さな力の源に、確かに触れて、私はそれを信じるのです。

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みくま幼稚園だより2015年4月・5月号1
みくま幼稚園だより2015年4月・5月号2

26年度2月・3月号

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卒園の春、進級の春によせて

毎朝子どもを幼稚園へ登園させるということは大変な作業です。子どもは幼稚園は楽しい、幼稚園へ行きたい、と言ったとしても、それは毎朝さっさと身支度をして登園しなければ、という自主的な作業にはつながりません。お母さんはとにかく毎朝幼稚園の門まで、通園バスのバス停まで子ども達を連れてこなければなりません。ましてや行きたいと言う日ばかりではありません。ぐずる日や、お母さんとしては体調や様々なことをおもんばかりながら、それでも幼稚園へ行かなければ、と自分を励ましながらの朝もたくさんあったことと思います。こどもが自分の目の届かないところへ行く、二人きりで過ごしていた子どもをまだ見ぬ仲間のもとへ託してゆく、それは喜びと苦しみがいりまじるたいへんな仕事です。子ども達を幼稚園へ毎朝登園させていただきました。毎朝子ども達をみくま幼稚園へ託していただきました。たいへんな作業を様々な思いのなか、それでも子どもの成長をともに喜びをもって伝えてくださいました。私たちはこころよりお礼を申し上げます。

「木を植えた男」の話

みくま幼稚園には、パイプランドの後ろにどんぐりの木があります。すいぶん大きな木になりました。これはある男の子が植えたどんぐりから生えたどんぐりの木です。もうずいぶん前の話です。20年ほど前になるでしょうか。

「木を植えた男」と言う絵本が世に紹介されました。フランスのお話を日本語に翻訳され、アニメーションにもなりました。とても深い内容で哲学的な絵本でもあり、多くの大人にも支持された絵本の姿をした壮大な文学でありました。一人の男が荒れた土地にどんぐりの実を一つうずめます。地面に穴をあけては実を一つ落とし、土をかけて植えるのです。毎日、毎日、何年もの間。雨の日も晴れの日も。やがて小さな芽が地上に現れて、それを男は大切に守り育ててゆきます。やがてある旅人が美しい森を訪れます。数えきれないたくさんの生命を育む土壌となった美しい森です。それはあのどんぐりが木になって、森になっていた、そんなお話でした。当時の私は私は駆け出しで、何もわかって居ない若造でした。

男の子がお母さんと植木鉢のなかに植えたどんぐりの実が芽をだして、大好きな幼稚園に植えてほしいと持ってきてくれました。おうちで「木を植えた男」を読んだのです、そう言って大切に親子で持ってこられたのでした。そのことをクラスの先生は子ども達に話して、みんなで植えました。毎朝そのどんぐりに水をあげる子どもがいました。声をかけたり、友達を誘って見に来る子どもや、卒園の時にはお母さんと写真を撮りにやってくる姿もありました。その子ども達が幼稚園から卒園をしてもどんぐりの木は大事に育てられました。大きくなった卒園生が訪ねてきて、ああまだあるんだ、とその姿を喜びました。

ある日、みくまに勤めていた職員が訪ねてきました。ずいぶん以前に退職をして新天地へと旅立った思い出深い保育をした人でした。ある日ひょっこりと私に会いたい、話がしたい、と遠方から訪ねてきたのでした。もう一度、あなたと仕事がしたいと言い続けてきた私には懐かしい訪問でした。

久しぶりに会えた私たちはたくさんの話をしました。そして彼女は今、子どもの事、夫の事、家族の事で深い悩みがありました。もう大阪へ帰ろうか、みくまへとにかく行ってみよう、そんな思いで幼稚園の前の坂道をのぼってきたのでした。

帰る前にあなたのいた保育室を見に行こう、そういって二人で幼稚園の中を歩きました。「ああ、変わらない」そういって休日の保育室をのぞいたその人の顔はあの頃と同じでした。そして滑り台の後ろのどんぐりの木を前に、「ああ、まだあるんですね、こんなに大きくなっている」そう言ってどんぐりの木をなぜました。あの日、クラスの子ども達と植えたあの小さな芽が、こんなに大きく、自分が幼稚園を去った後も、季節の中で育っていった、自分にもたくさんの出来事があって、同じ季節をすごして行った、「ここにあなたと過ごした歳月がある」木はそんな言葉を語りかけてくれたように思いました。

「戻ってきたくなったら訪ねておいで、いつでもここにあなたの居場所がある」私はその人の肩を抱いてそう言いました。「もう少し、もう一度やってみます」そう言ってその人は涙を拭いて微笑みました。「じゃあ、またね」そう言って私たちは別れました。彼女はまた坂道を下って行きました。あの日と同じ背中がありました。

秋にはどんぐりの実を落としてたくさんの子ども達の声をきき、遊ぶ姿を眺めながら、みくまに植えられた小さなどんぐりの木。このただ一本のどんぐりの木を見るたびに、一冊の絵本に書かれたお話を思い出すのです。深い物語に心が通じてゆくように思うのです。そして、この幼稚園を去ってゆくこの幼稚園で過ごしたすべての人間に、「戻ってきたくなったら戻っておいで、いつでもここにあなたの場所がある」そう語りかけているように思うのです。

子育てで渡る川

こんな仕事をしていると幼稚園の行事はこなしていても自分の子どもの行事などほったらかしになるものです、それでなくても器用な人間ではないわたしとっては、子育てと仕事の両立のなかでも、こどものマネージャー業ほど苦手なものはありませんでした。

とにかく、くつを脱いだら職場の事は綺麗さっぱりと忘れてしまい、職場に行った記憶すらありません。そしてくつをはいて家からでると、もう自分に子どもがいることすら忘れてしまうような有様でした。そうして私も子どもも病気もせず、大きなストレスに不調を訴えることもなく、そんな形で身を守りながら人生でもっとも忙殺される時期を生き延びて、仕事も子育てもなんとか続けてゆくことが出来たのだと思います。

息子は18になった年、一人暮らしをさせてくれと頼みにきました。おまえには苦労をかけたから、早く自由に生きなさい、そういって送り出しました。自由になって責任をもって、はじめて親と対等になる、はじめて「やってあげてる、やってもらっている」の関係から人としての対等な親子関係を始めることができる、そんな思いがありました。そしてなによりも、海賊船のなかのようなところで子どもを育て、仕事を続け、いつも全力で生きてきたので、親子ともに一片の悔いはありませんでした。ただただ夢中で無茶苦茶でしたが、「あんなに無茶苦茶だったけど、おもしろかったなあ」と、いつも親子は互いの存在に満足していましたから。

大人に近づいて独立をする、子ども達が家からいなくなる。どこかで元気に、親のことなどすっかり忘れて元気に生き生きとやっている。苦労をしても明日いいことあるだろう、とあのときと同じように朝を迎えてくつをはく。そこにいなくても、子ども達のにおいが少しずつ家の中から消えていっても、どこかであのときの時間が続いている。命がある限り続いていく。

いのちが命を産んで育ててゆく作業のなかで、子どもの時代をもう一度生きる事ができたこと、そして今もその自分と向かい合っていきてゆくということ。今は愛おしく思います。過ぎた時間が、自分のなかで、ゆっくりと腑に落ちてゆくことを感じます。そして、今年も桜の花の下、幼稚園から旅立ってゆく子ども達、お母ちゃん達の背中を見送ります。

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みくま幼稚園だより 2015年2月・3月号1
みくま幼稚園だより 2015年2月・3月号2

26年度1月号

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三学期というもの

学年のしめくくり、三学期のほぼ半分に近づいています。一番短い保育期間、いちばん濃厚な毎日の学期です。この時期は私たちのかなめとなる学期です。預かる事が出来た時間の中で、どれだけ一人の子どもと向きあって、育ちへのアプローチをかけることができるのか、なにを導いてなにを見守ってゆくのか、その成果を次の学年の先生へ引き継いでゆく時期でもあります。私たちは一人の子どもが、みくま幼稚園に入園をしたその日から、その一人の子どもの成長をどうしたかたちで育むか、現場は手だてをうってゆきます。子どもは一人一人が別人です。人間がちがいます。ですから343人の子どもに343通りの手だてをうってゆくのです。343人に幼いながらも社会人としての個別の指導をしてゆくのです。そして343人の子ども達が「みくま」という小さな世間に社会参加をして、自分たちのコミュニティを作り上げ、運営し、成熟させてゆくのです。そこで子どもが育ち合い、支え合い、与え合って、豊かな人生の時間をやりがいのある苦労とともに仲間と分かち合ってゆくのです。現場の先生達は、その仲間の一員として胸を張りながら、その夢と希望にむかって勤めを果たしてゆくのです。

やがてやってくる新年度にむけて、年少組の先生達は年中組の先生へたすきをつなぎます。年中組の先生達は年長組の先生へたすきをつなぎます。そして、年長組の先生達は子ども達一人ずつを就学先の小学校へ手渡して、お母さん達へたすきを渡してゆきます。みくまで過ごした、みくまで育まれた、そしてみくまへ我が子を託したお母ちゃん達の思いの全て、かけがえのない我が子を託された私たちの思いの全て、子ども達という仲間と過ごした思いの全て、それら全部が織り込まれたすきを、子ども達とお母ちゃん達へと、またわたしてゆくのです。今度は私たちが、みくまのたすきを託してゆくのです。渡す、託す、そしてつないでつむぐ、三学期というものは、そんな姿をしています。

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ドッヂボールの季節です

年長組さんはこの時期はドッヂボールの季節です。触発された小さい学年も見よう見まねでやってはみますが、年長組さんのように、ルールのある遊びを楽しむところまではいきません。みくまという小さな社会を運営している子ども達の成熟期がやってきています。どんなに小さな社会でも、理の通らないことはおこります。それをどうしてやりこなしてゆくか、それでもどういう道を選択してゆくのか、そのきっかけとなる出来事は日常のなかで絶えずおこります。理不尽なことが起こりえない社会で成長する事は実際的ではありません。理不尽なことが理不尽な事だとジャッジをされて、では自分はこの身にふりかかった出来事とどう向き合ってゆくのか、自分はどういう人間になるのか、その選択をして、人としてあるべき方角へ進んでゆく体験をするということが大切なのです。私たちはそれをみちびき見守る良きジャッジ(審判)でもある事が求められるのです。

ドッヂボールの初期段階では、ルールが守れず我を通す子も、やがてはその我が通せなくなります。ボールがあたれば外野へ出なければならないけれど、当たっていないと言い張る子に、それまでは黙っていた物静かな子がある日「あたったぞ」と相手に言えます。「当たってない」と言い張っても、そこにいるみんながルールを守れよ、遊べないやないか、といった眼差しで「当たったら外野へでろよ」と、ある日口々に言い出します。決着がつくまでゲームは中断です。そうなるとボールに当たった子どもは仕方なくルールに従い外野へ行きます。しかし、やがては当たればすぐに、活気に満ちて外野へ行くようになります。チームの一員として外野へ行って仲間を助ける、ゲームを楽しむために速やかにゲームの進行をさせてゆく、みんなで楽しむ自分たちのゲームである事をだんだんと理解して、楽しめるようになるのです。チームプレーの喜びが、だんだん実現できてゆくのです。みくまの社会人として成熟したその姿があらわれてゆきます。

そしてその最年長の学年の仲間達の姿を、次の学年の子ども達がみています。まだできないけれど、その姿をしっかりとみて、知っておくのです。そして、知っているだけの物事を、やがて我が身に起こる様々な出来事を体験する中で、理解をして、認識をしてわかってゆくのです。来年の今頃の姿を思う、去年の今頃の姿を思う、一年の成長の姿に思いをよせる、ドッヂボールの季節はそんな季節です。

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子育てで渡る川

協調性に欠ける、非社会的、反抗的、そんな評価を中学生のときにもらった記憶があります。もとより学校が嫌いなのですから、嫌いな相手にそう言われても本人は褒め言葉ぐらいにしか思っていません。まあ、そういうやりにくい子どもでありましたねえ、私は。今思い起こしても不遜きわまりない、親はどういう育て方をしてるんだと思われていたことと思います。
実際母親がいうところによると、個人懇談などにゆくとボロカスに言われたこともある、と話をしていたことがありました。それでも「うちの子どものいいところなんか親以外にわかるもんか」と逆に腹をたてて帰ってきた、と言っていましたから、まあ、おして知るべし。どっちもどっち。はた迷惑にしてもいい親子であったかもしれません。

そんな私が親になりました。学校嫌い大明神が産んだわけですから、我が子が学校へ行かないっ、幼稚園なんか行かないっ、なんて言い出したらどうしようとワクワクしておりました。その時、なんて言おうかしら、どんなスピーチをしてきかそうかしらなどと妄想して、なぜかワクワクしておったのでありました。しかし、あまりにも私との生活に手をやく子どもは二人とも、学校に行ける人生に意欲を感じ、「学校なんかやめさせてやるっ」と私が逆上すると「ああお願い、学校にいかせてください」などと息子に言われたときはどっちが大人かわからんな、と恥じ入ったものでした。こんな母親である上に、初めての子育てで育てられた息子の苦労はいかばかりであったかと思い至るようになったのも、ついこのごろの話なのです。

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今にして思うとなぜあんなに学校が嫌いだったのかといわれると、関わりたい、参加したい思いの裏返しであったのかもしれません。しかし、音や感触に敏感で、ものにこだわって考えて、興味関心の対象への思い入れがことのほか強かった子どもであった私にとって、やればわかる、行けば入れるというやり方は乱暴で悲しいと感じるところであったのでしょう。なにか一段階の丁寧さがあれば、自分に手だてを打ってくれる人がその場所にいてくれたなら、その群れで楽しんで参加をする事ができたかもと思っていたのかもしれません。そして、自分だけの気持ち、自分だけの物語にどう向き合ってよいかわからずに、学校を嫌いになっていたのかもしれません。

子どもの時の気持ちは思い込みとなって残ります。ただの思い込みが、真実のように思い込まれて、その人の価値観にひびきます。耳をすますとかすかにその音が聞こえてくるように、何かの拍子に耳をすますと、その音がまだなり続けているような気がするものです。子どものときの思い込みは、大人になってからの行動心理に影響を与えています。しかし、それが幼い未熟な子どもであった自分が、事情や人の施しには気づかずに勝手に自分だけの物語を紡いでいたのだと理解をしたとき、周りの景色がみえたとき、してもらえなかった、してほしい、と悲しみ怒る自分が、してもらっていた、施してもらっていた自分であった、との気づきを経て、人は初めて大人になってゆくのでしょう。

子どもに親にしてもらう、それはまことに真理です。子どもが親にしてゆくのです。親になると言う事は、心理的な痛みが伴います。いつの日か元気で追い出すために、こうして一生懸命に慈しんで育んでいるのだと言う事はとても痛い事なのです。だからこそかけがえのない喜びもそこにあるのです。そして、いつの日か、様々な思いが混ざり合って迷ったときも、苦しんだときも、親が死んでもやってゆける子どもにしなければ、そのためにこうして自分が育てて行くのだ、自分はやってゆけるんだ、と覚悟を定めた親の思いに、子育てという取り組みの結実を見るものだと思うのです。そして子どもはいつの日か、親の気持ちをおもんばかる事が出来るようになった頃、それに値する体験の数をこなしたときに、自らもそうした覚悟にふれて、道を定めてゆくのだと思うのです。

親と子ども、相方であり、親友です。そして親と子という絆でむすばれた人生をともにする相手です。
振り返る事のない必死の日々で、そうした日々の中でこそ親子はすでに互いを信じ、認め、受け入れていること、すでに信じられて、認められて、受け入れられていることを感じてほしいと願います。

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みくま幼稚園だより 2015年1月号1
みくま幼稚園だより 2015年1月号2

相手の話

相手があるやないか、よくそんなふうに怒られた気がします。

「相手がいるじゃないか、相手のある話だろ」と言われた場面を思い出してもよく思い出せません。ただ、自分の都合の良い解釈や、怒り心頭の自分に向けられた話であっても都合良く忘れてしまう私にとっては、けっこう心に残る言葉の一つであったように思います。

「いやいや、わかってますよ、相手の言い分はこうでしょう、私の言い分はこうだから見解がちがうのでしょう?」と言い返す私に、「相手がいるじゃないか」と注意した人は「ああ、この人はわかっていない」とあきらめ顔をしたものでした。それがあきらめ顔だったのか、怒りの顔だったのかわかりませんが、人としての成長がなければわからないんだこういうことは、というメッセージをその人は出していたようにも思います。今となっては、それは本当にあった事なのか、どこで誰に言われたかさだかではなく、私の物語の中でのことなのか、そんな気がするという思い込みかどうなのかわかりませんが、確かにいろいろな人がいろいろな言い方で、成長過程にあった当時の私にいろいろな人が「相手があることやないか」といさめたように思います。そして私は「なに言ってんだい、相手の言い分は理解できてるよ」とその言葉を文字の通りにしか知らずにおりました。

子どもを大きくする人生を卒業してから、私はしゃにむに探求をはじめました。体と心の勉強をはじめました。それは自分の感覚をみがく、目覚めさせる、一度も使わなかったかもしれない備わったもののすみずみにまで、意識を通わせ、神経がかよい、活力が通じる感触を通わせる作業で、様々なことをやりたいと思っていましたが何をやっていいかがわかりませんでした。

そんなある夜、なぜか棒がほしいと思った私は通販サイトで赤樫の棒を買い、家でふりまわして遊んでおりました。いい年をした大人が夜に棒を振り回す、なんだかおかしなことですが、なぜか無性に手に合った良い感触の棒が持ちたくて、何かに使いたくて棒と遊んでいたのでした。まもなく私はある人の紹介で、「感覚を磨きたければ、とても感性のするどい方がいる、一度お話をしてみたら知りたいことを知っているかもしれないし、勉強になるのではないですか」とお話をいただき、その方を訪ねていくこととなりました。

その人は武術の世界にいる方で、居合教室が終わる頃にひょっこりとやってきた私が「私は居合はやりません、剣術も武道もやりません、こんな私は何をしたらよいのでしょう」と唐突なことを訪ねると、たいへん愉快そうに私の顔を眺められて、「それはじょうです」と言われました。「じょうとは一体なんですか」と尋ねると、これです、と私が家でふりまわしているのとそっくりの棒を持ってこられました。「杖と書いてじょうと読みます、杖があなたによいでしょう」とその杖を私に渡されたのでした。

「じょうとは一体なんですか、じょうは私の手の延長ですか、それとも体とまったく別の道具ですか」と尋ねる私に先生はにこやかに「杖はあなたの仲間です、杖はあなたの相手です」と言われました。
一体この人は何を言っているんだ、と言葉の意味が汲み取れずにいた私は、「相手があるやないか」と言われた頃ときっと同じ心境、同じ姿であったと思います。そしてそんな私の姿と心境を、先生はよくご存知のことだったと思います。そんなことから、まずそこから、私と杖の付き合いが始まりました。

私はひょんなことから「杖(じょう)」という相手に出会い、「杖術(じょうじゅつ)」という世界に触れることになりました。そして根気よくお付き合いくださる先生から「杖」と「自分」の関係性、杖の動きとつきあい方を学ぶうち、様々いろんな出来事が私の身にもおこりました。それは日常生活でそれまでも起こってきた小さな出来事や、大事なこともありました。体で学んだ感覚が、だんだん日常の出来事のなかにもあるように感じられてくるのでした。そして、ある時に体の感覚で、「ああ、相手があるとはこういうことか」と知りました。それは言葉で説明しろと言われてもできにくく、根拠もない話のようでありましたが、確かに、ああ、自分は今ようやく知ったのだと感じたのでした。

杖の存在を意識していると、ある時、杖は羽のように軽くあり、またある時は私よりも重くなり、どこかへ行こうとしたり、戻ってこようとしたりしました。杖は私との関係性のなかで私とその重さや軽さ、方向方角を分け合います。私が杖を忘れてしまうと、私は一人ぼっちになりました。杖が私を忘れてしまうと杖は一人ぼっちになりました。「相手と言うのはこういうものか、仲間と言うのはこういうものか」知ってはいたけどどこかわかっていなかった私には、とても鮮明で衝撃的なことでした。思考と体がつながって、心身で「相手」というものを理解出来たと感じた瞬間でした。

子どもは体験を通じて学びます。子どもは実際の体験、ぬくもりや冷たさや、感じることでものごとを理解してゆきます。感じる事で、わけがわかってゆくのです。頭だけの知識ではなく、体と心を通じて、相手の中で育ち合う子ども達の姿を私は長年みてきたし、それは実際に自分と子どもが共に体験をして学んできた事でした。
そんな私が「相手がある」ということを頭だけでなく、体から感じてはっきりと意識をして、学んできた事をほんとうに理解するということをしたのでした。

「先生、杖をやって、初めて相手があるということがわかりました。相手があるというのはこういうことか、生まれて初めてわかりました」そう言った私を先生は、相変わらずにこやかにその姿を認めてくださいました。
最初の出会いのときに、杖はあなたの仲間です、あなたの相手です、私という相手に伝えた先生のメッセージを、ようやく、やっと、私がわかったのです。

「相手」という言葉には3つの意味があります。いっしょになって物事を行う者、対象とする者、対抗して勝負を競う者、そして私たち人間は関係性のなかで互いを映し合うのです。

私たちは自分で自分の姿がみえません。自分の姿は自分がいちばんわからないでいるものです。私たちは相手に自分を映します。相手と言う鏡に映った自分をみて自分をなぞっていくのです。

杖というもの言わぬ相手と組んで、杖は自分の中にあり、自分は杖のなかにあり、互いは心と体のように表裏一体で同一のもの、それらをわけあう相対のもの、それが少し体感できたように感じます。それは相手があることを知るための探求の旅のように思います。
海賊船の中のようなところで子どもを産んで、育ててきて、ただただ必死で子どもを育てて生き延びてきた。その道中で、あんなに子どもという相手と、互いを相手として存分につき合ってきた、向き合ってきた、育ち合ってきた事を今、感謝とともに思い起こします。子育てをするまでも、なんと多くの相手が私を許し、認め、受け入れてきたことでしょう、その積み重ねがあったからこそ、今の学びのなかで、体に入ってくる杖の感覚というものが、今までの人生の体験を「相手がある」という言葉でつなぐのでしょう。つないで、つながってゆくことで、人としての成長へと導いてゆくのでしょう。

「いかなる時も杖と私」、それはいかなる時も相手と私、相手はずっとそこにいる。
そのことにようやく気がついた「相手の話」
これは相手というものと出会った私の、ちょっととりとめのないお話です。

〜石田泰史先生に感謝をこめて〜

26年度12月号

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冬休みがやってきます

 4月に始まった新学期が夏を越え、秋を越え、冬になりました。このお正月を超えたらあっという間に早春の頃、季節がようやくひとまわりします。年間の保育日数の半分を元気で登園できたらじゅうぶんですよ、といわれた年少組さんも次の桜の花の下では年中組さんの名札をつけます。年中組さんは待ちに待っていた年長へ、そして年長組さんはみくまから巣立つ日がやってきます。三学期はいちばん短い保育日数の学期です。そして一番かなめになる学期でもあります。過ぎ去る日が早いだけに、そして子ども達の育ちがその学年として最も成熟してくるだけに保育の密度も濃くなる学期です。こころして三学期の幕開けを迎えたいと思います。

 お正月は日本に残る年中行事のなかでも、まだ郷土色が残る昔ながらの行事といえましょう。子ども達が小さいうちは親戚があつまって、お年玉やかるたとり、子どもの話や家族の話、親戚が顔をあわせて食事をしたり、遊んだり、おじいちゃんおばあちゃんたちは忙しかったりうれしかったり、なつかしいにぎわいが帰ってきます。父方の故郷、母方の故郷、二つの故郷を持つ子ども達、二つの家の文化を受け継いでゆく子ども達、やがては自分の生まれ育った一つの家庭の文化を受け継いでゆくこどもたち、お正月は家庭の文化を継承する行事でもあります。
やがては受験や就職で集まる人数が少なくなるお正月の宴席を楽しんですごしてほしいと願います。そして、料理にのこる郷土色をおぼえていてほしい、なつかしい家のにおいとともに残してほしいと願っています。

行事に寄せて

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 子ども達一人一人を現場の先生達が毎日どんな密度で向き合おうとしているか、どれほどのことをやろうとしてやって来れたのか、その結実をかいま見る事ができる、それが行事であると思います。行事というきっかけのために、クラスが結束をしてのりきる、のりきった時に子ども達の中に、一隻の船で一つの海域を乗り切ったという達成感、充実感、そしてノウハウがみについてゆく、パートナーシップ、ヒューマンシップという仲間がいなければ身につける事が出来ないそんな実りが宿っている。行事と言うものはそのためのものだと考えています。家庭をでて、親元をはなれてみくま幼稚園へやってきたその日から、子ども達にとっては毎日が行事の日だともいえるでしょうか。

 生きておればいろんなことがある。生きておればこそいろんなことに出くわしながら、人は生きる時間を使って学んでゆく。相手に出会って、自分を映して、相手を通じて育ってゆく。みくま幼稚園の取り組みが、「みくまの保育」という日々の取り組みが、子ども達の人生の豊かな糧となりますように、お母ちゃん達の子育ての日々の確かな糧をなりますように、現場は一日も一時も手を抜かずに、充実した時間を生きようと懸命に子ども達と向き合います。

 今日と言う日までのあなた達のことをみてきた、今日と言う日までの子ども達の姿、お母ちゃん達の姿、先生達の姿、それらをつぶさに見て感じてともに歩いてきた、それらをすでに知っている、認めて受け入れて信じている、人が人を信じるということはそういうことかと感じています。人が人になにをしようとしているのか、保育と言う仕事はなんなのか、子育てをしているということはどういうことなのか、それを見つめて行きたいと願っています。

子育てで渡る川

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 東京の家の記憶の話です。当時はまだ昭和30年代、私は父の仕事の関係で東京の社宅に住んでいました。まだコンクリートの団地といわれるものが世の中には亡かった時代でしたので、長屋のように続く一軒家に住んでいました。私はその家で6歳まですごしましたが、なにせ子どもの事ですから、都合の良い事柄を都合の良い解釈に落とし込んだ思い出しかありません。東京の家での思い出でもっとも鮮明なのは、大阪への引っ越し前日のことです。3月23日のことでした。

 家の荷物出しを終えた頃、夕方の6時頃だったと思います。一人で好きな座敷にいた私はふとしたことで(じつに間抜けな姿勢をとろうと工夫したため)左の肘を脱臼しました。なにせ、引っ越しの前日の夕方、病院もしまっている時間帯でしたから泣きたかったのは母親だったと思います。泣きながら私は手をひかれ、近所の病院へ行きました。無人の病院をのぞき込んでいると後ろから忘れ物をとりに帰ってきた看護婦さんがやってきて、お困りでしょうと鍵をあけて、「もう先生方は皆さん帰られたのでどなたもおられないんです。」と落胆する母と泣いている私をみかねたのでしょう、事務室でなんとか紹介先をさがしてくれる事となりました。私は玄関に一人残されて立っていました。母と先ほどの看護婦さんがせわしなく電話をしたり話をしています。

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 そんな姿を見ていると、玄関の脇、病院の奥の通路から男の人がでてきました。眼鏡をかけて背広をきて、黒い革靴を履こうと靴べらをとって足をうごかしながら、「お嬢ちゃん、どうしたの」とにこやかにたずねます。手が痛い、と説明すると、その人は私の前に膝をついて、私の顔を見上げるようにして丁寧に説明をしてくれました。
「うん、左のここだね、折れてたらもっと腫れるし痛いんだよ、骨がつながってはまっているところがね、少し抜けたんだと思うよ、手をこうしてみてくれるかな。」おだやかな口調のその人は、私の手をていねいに少しねじると、私は自分の手が元通りになったことがわかりました。「ぬけていたんだね、もうなおった、じゃあね」そういってその人は玄関から出て行きました。目の前の事務室のガラス越しに母と看護婦さんの後ろ姿がみえていました。

 いれかわりに、あわただしく事務室から二人がでてきました。手がなおった経緯を説明しましたが、「もう誰も残っていませんでしたよ、私が最後で鍵をかけましたから。」と看護婦さんはゆずりません。忘れ物をとりにきた先生だろうと二人が言っても、病院の中にいたんだもん、病院の中からでてきたもん、と私がゆずりません。まあ、なんだかよくわからないけどよかったじゃない、と話はそこでおしまいです。翌日私は新幹線にのって、この大阪へ引っ越したのでした。母は最愛の弟の遺志を継いで、みくま幼稚園をはじめようとしていました。

 私はいつも子ども達、一人一人に向き合いたいと願ってきました。一人と一人で話をきいて、丁寧に相手の気持ちを汲み取って、自分の知識や技術や経験をいかして、そして本当の事をちゃんと伝えて、解決に導きたいと考えて、子どもと一対一で話をします。「これから大人になる今子どもであるあなたと、以前子どもだったことがある今大人のわたし」の二人で話をするのです。そうした話が終わった後で、ふと、これはあのお医者さんらしき男性が、ただ一人で困っていた私にしてくれた施しと同じ事ではなかったかと思うのです。あの人が私にしてくれたことを、私は保育を受けにきた子どもたち、子育ての相談をしにきたお母ちゃん達に同じようにしようとしている。そう感じるのです。私を見上げて丁寧に、大事に、対等に話をして施しをしてくれたあの人は、今も私の中にいるのです。

 3月の夕方の、寒い玄関に立っていた私の記憶は鮮明で、いまも寒い夕方になるとあの日の出会いを思い出します。眼鏡をかけて、グレイの背広を着て、黒い革靴をはいて、「じゃあまたね」とわかれた一人の大人が、6つのわたしに手渡していったもの。わたしはそれを今も大切に持っている、確かにここに宿している、冬の夕方になると思い出す、ちょっと不思議なおはなしです。

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みくま幼稚園だより 2014年12月号1
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26年度11月号

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クリスマス絵本を贈ります

 池をのぞき込んだだけであんなに大急ぎでやってきた亀達が、ぼんやりと水の底であくびをしたり考え事をしたりするようになると、みくま幼稚園にも冬の到来です。ウサギ達はいつのまにかモフモフとあたたかな密毛(みつもう)であたたかそうな毛皮に着替え、アヒル達は元気に冷たい水の中ではしゃぎます。子ども達は元気な歓声をあげて、仲間同士の中でのやりとりを楽しみ、自分がすでにこのコミュニティの中で、しっかりと市民権を得て、自分たちがこの社会を運営している事を意識できています。これからが冬から春にかけての学びの時期と言えましょう。

 みくま幼稚園では、子ども達へクリスマスのプレゼントとして「クリスマス絵本のプレゼント」をしています。PTAの厚生部さん主催のみくまバザーの売り上げの補助をいただいて、子ども達へのプレゼントです。でも、私は、これはお母さん達への贈り物だと思っています。

 毎日、毎朝、子ども達を私たちのもとへ送り出してくださるお母さんたち、親であれば子どもの愚痴や話をきいておれば、様々な思いが胸にはあるお母さん達が、それでも幼稚園に行っておいで、今日は昨日よりきっといいことあるかもよ、と子どもの背中にそっと手を添えて送り出してくださる。それは当たり前にできそうで、当たり前にはできないことだと私は思っているのです。親であれば、小さな子どもを育てているお母ちゃんであれば、私であっても同じ事をする、私だってそうしてきた、そんな思いで自分より年若いお母さんたちに向き合うようになれるのは、自分が少しずつ本当の大人になってきた手応えを感じ始めたからかもしれません。

 絵本には人生で三度の出会いがあります。
幼い日に子どもとして親に読んでもらう絵本、大きくなった後に自らが一人の人としてもう一度手に取ってよんでみる絵本、そして幼い子どものために親として読んでやる絵本。

 みくま幼稚園を選んでくださったお母ちゃん達、一生懸命に小さな子どもを育てているお母ちゃん達に心よりお礼を申し上げます。そして、クリスマスの祈りをこめて、みくま幼稚園より一冊の絵本をお贈りいたします。どうぞ、お楽しみに。

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感覚の話・「みる」ということ

 こどもをみる、ということはどういうことかとよく考えます。みくま幼稚園は子どもをよくみてくれる幼稚園だとほめていただくことがあります。たいへんうれしい言葉です。親がいう「よくみてくれる」とはどういうことなのでしょうか。私たちこどもを預かる現場の者たちにとっての「子ども達一人一人をよくみる」とはどういうことなのでしょうか。
 先日、私のお稽古ごとの師匠4人が4人とも、打ち合わせもしないのにその話を私にしました。だいたいこの4人は私ともども地球上に数少ない同種族の人間なので、まあ、なんとなくいつも何の接点もないのに、各々のお稽古日に私に共通の話をなさいます。かわるがわる人が交代して私に同じ事を言いにくる、まあ、私にしてみるとそんな感じです。ああ今週の御題はこれか、みたいな。
その人の内面や内心、本当の気持ちや本来の姿、そんなものを感じ取るための「みる」でありたい。目にはみえないたくさんのつながりを調整したり、修正したり、補強したり、満たしてゆく、子ども達の営む小さな社会をそんなふうに「みまもりたい」と願います。
 私たちはみくま幼稚園において「こどもをみる」ということは「こどもの感触をとる」ことに始まると伝えます。まあ、たいていの職員採用の場合では、採用希望者は目を丸くして「かんしょくをとる?」とおうむ返しにききかえして、なんだか変なことになりゃしないか、この人は大丈夫か、と私は目の前で私に対して相手が不安と警戒心ありありといだく姿を毎度みております。

 姿形に現れるものに惑わされず、本質をみる、本音や本来のものをみる、言葉や理解力、コミュニケーションの力がまだまだ未熟な段階のこども達を教育してゆく、ともに育ち合い、ともに一つの小さな社会を作り上げようとする作業が「保育」とすれば、保育を行う保育者の姿の本質はそこにあります。保育現場に置いて専門職、プロフェッションといわれるものにはそれが備わってしかるべきだと私は考えています。それは目に見えない力なのですが、私たちにはまったくすべてそれは生まれつき備わっており、専門職としてトレーニングや修練を積んで身につけてゆきます。そしてそのための懸命な努力は、あきらかに目に見える姿形となってこども達の姿に現れます。

 私たちは「目」で見ます。そして「心眼」といわれる心の目をもっています。こどもをみつめるまなざしは、「どちらもあってはじめて一つ」と私は信じているのです。その感覚をいつも鋭敏にすましていること、それがみくま幼稚園の保育現場で私がとても大切にしていることです。

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子育てで渡る川

 私は今、自分の感覚を知り、学び、成長させるために少々風変わりなお稽古事を様々しています。師匠を探し出すため、やみくもに様々な人に会いに出かけていきます。子育てをしているときには、とてもそんな時間も行動もできませんでした。子どもの世話と家庭のきりもりに追われ、仕事と家族の両立に全力疾走していました。子育てというものを相手に格闘していた時代といえるでしょう。

 その時代、私はまさしく一戦一生の気持ちで、手当り次第に対戦していたような気がします。勝って気が済む、負けて引きずるのくりかえし。一喜一憂とはこのことです。その道中で、たくさんのものを取り落としました。あれは仕方がなかったのさとあきらめがついたものも、痛恨のエラーとして今もとげがささったままのものも、快挙として胸に残るものも様々ありました。仕事との両立だったから、子育てをしていたから、苦しい時代だったから、原因はいろいろあったでしょう。でも、今、当時の自分を悔やむ事なく、きちんと向き合ってかえり見て言える事は、「原因はきっかけにすぎなかった」ということです。そして「その時の結果は、その時の実力であったのだ」ということです。

 原因と呼ばれる事を探し当てる事は大事かもしれません、でも原因はただのきっかけであり、原因と思い込む出来事の一つにすぎません。その出来事に起因する仕組みがあることに気がついた今、あの時、躍起になって引き起こされた様々な出来事の思い出が、今の自分を支えている事に気がつきます。あれは今日、このための、たくさんの星のなかの一つだったのだな、星座をようやく見る事が出来る今になり、ようやくそれがわかります。

 生まれて初めて我が子を育てるお母ちゃんが、生まれてはじめての局面に出会う、生まれて初めての判断を強いられるお母ちゃんが、夜も眠らず考え抜いてだした判断の内容は、だいたいまちがってはおりません。それはそうしたたくさんの格闘にむきあって、数こなしてきた人間ならわかること。生き方というものは誰かの真似をするものではないし、育て方もきっとそうであろうから。その時の実力が、本物の実力を育ててゆく。未熟である、ビギナーであることを恐れてはいけません。知っていればよいことです。

 今となった私は、幼い子どもを育ててゆくこれから大人になってゆくお母ちゃんたちに自分の姿を映しています。かつての私、どうしてよいかわからないままにやみくもに走っては転ぶの繰り返しだった自分、自分を支えてきた自分といつも共にあるように、今を生きるみくまのお母ちゃんたちといつも心を共に、共にお稽古をしていたいと願っています。

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みくま幼稚園だより 2014年11月号1
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26年度 10月号

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運動会に思う事

 運動会と鉄棒、跳び箱、給食。この四つのない人生をひたすら模索した私が選んだのがこの職業、じつに皮肉なものです。この私がえらんだからこそ、子どもが幼稚園で過ごす時間を人生の糧に出来るように、幼稚園が子どもの人生に貢献できるような保育をするというのが私の発想です。まあ、アウトサイダーならではの発想が、本来のあるべき姿の考えと同じというのは妙なものです。

 子ども達が集団の中で育ってゆく姿、我が子が育ったなあと思う背景には、たくさんの我が子の属する社会の仲間の存在があります。同世代の寄り集まっただけの集団が、身を預け合う、手を握り合う相手になり、仲間になってゆく時間、それが保育の時間です。
 年長児になると、そのための時間が育ちとなって、その姿形となって目に見えるものがあらわれます。親にも確かな手応えが感じられてきます。子どもは、放っておいても、命があれば発育し、成長もします。しかし、大きくなって、できることがふえていく行程で、仲間とまで呼べる集団に身をおけるかどうかは子どもの人としての育ちに大きくかかわります。「みんなは一人のために、一人はみんなのために」その言葉が確かな喜びとなっていくことが大事です。子どもがみずから参加して達成したいと思うだけの集団に出会うかどうか、それが大事な行程です。年少、年中の時間はその蓄積の時間です。基盤をつくる体験の時間です。

 先生達は仲間の一人として、子分のためなら火の中、水の中に飛び込んで助けにいく親分として、そして、生まれて初めて出会う最初の親友として子ども達に寄り添います。満足の行く結果がでなくても、我が子のみを見つめている親の目には不十分だと思っても、子ども達自身が自らの力で生きてゆけるようにと願う気持ちは、現場の先生も親も、幼稚園もかわらないように、先生達が成し遂げようと小さな仲間と懸命に取り組んだ方角は、絶対に子どもの将来に向かっていると私は実感しているのです。

 みくま幼稚園が運動会を通じてなにをしようとしているのか、子ども達の人生にどのような貢献ができる保育をしようとしているのか、少しでも感じ取っていただけたら、それは大変幸せなことです。

 今年の運動会には日が迫ってからの日程変更や、当日まで現地の状況がよめずにプリントが間際になりましたこと、また、会場では大変窮屈な場所であるにもかかわらず、多大なご理解、ご協力をいただきました。幼稚園と、そしてなによりも親元を離れて小さな世間に身を置いてがんばっている子ども達のために、たくさんの心配りを頂戴致しました。職員一同、心よりお礼を申し上げます。
 ありがとうございました。

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二学期も後半に入りました

 二学期も後半、秋の子どもは育ち合う、春夏と個別に育っていた子どもが本当に仲間の中で育ち合うという姿がみられるのがこの季節です。この季節に起こる事柄をご紹介しておきます。まず、仲間の中で育ち合うというのはどういうことか、いいこと、わるいことがおこります。いいことが起こる原因も、悪いことが起こる原因も同じです。人と関わりたいという衝動です。親しみを感じる相手、好意を寄せる相手とより親密になりたい、親密な生活をしてみたいという社会性のなかでも最も大切な「誰かとハッピーにすごしたい」という気持ちが姿形に現れてきます。私たちはそこに、親に愛されて育った子どもたちの手ざわりを感じます。お母ちゃんの愛をいっぱいに注いでもらって大きくしてもらった子どもの手ざわりを感じます。

 成功も失敗もおこります。もめ事もその逆もおこります。それらはすべて「相手がある」ということをわかるための作業であり、作業の目的は「人は人の中で育ち合う」ということです。

 初めての子育てと一緒で、子ども達にとっては初めての事がおこります。見た事も聞いた事もないことを、いきなり本番でやっていきます。喜びがあるぶん苦労があって、葛藤があります。そして「失敗をしたことがある」ということが、やがて人生の財産にかわります。「成功した」ということは、「だんだんとできるようになったこと」だとわかります。

 愚痴をきいて、はげまして、それでも幼稚園に行くあなたはえらいなあ、と感心をしてやってください。子どもが困っている姿をみて、解決してやりたいと思わない親はいません。解決のための手だてを考えておく事は大事です。しかし、それは大人のおなかにおさめておいて、とにかく、苦労をしながらやっている子ども達に共感してやっていただきたいと思います。共感をして、解決のために取り組んでゆく子ども達をあたたかく幼稚園に送り出す、お家に迎え入れる、そんな親の姿で支えてやってほしいと思います。

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子育てで渡る川

 人生は、雨が降ったら傘をさす。これが私の考えです。子育てもそんなふうにやってきました。というよりは、海賊船の中で子育てをしたような生活でしたので、ほかの選択肢は許されなかったと言い方が正しいかもしれません。迷いがなくてよかったね、ともいえますが、もう仕方なかったんだねともいえましょう。
 親が自分の生き死にに必死で子どもはたまったもんじゃありません。毎日が綱渡りのようでしたが、もうここにいたると、子どもが可哀想とか、親としてどうなの、などとは言う余裕もあらず、親子共々スリルと興奮の綱渡りの日々でした。不自由はあったが不幸ではない、「むちゃくちゃだったけど面白かったなあー」と今でも子ども達は口にします。まあ、海賊船ですからね。
 人生は基本、365日土砂降りと悟った私はいつも雨の中子どもとずぶぬれで走っていたように感じます。たまに雨が小降りになればありがたい、曇り空や晴れ間が見えたときは滅多にありつけない有り難さ、そんな気持ちにもなりました。

 雨の中傘も持たずにぬれねずみで走り回る私たちを見るに見かねたのか、たくさんの人に傘を借りたような気がします。ただ私はとにかく子育てと仕事の両立に必死で生きていたもので、相手の名前をたずねることもせず、お礼も言わず、顔もみずに、時にはひったくるようにして人の傘を借りた事がありました。時には、必ず返します、と約束までしながら結局、返す事なく放り出した傘もありました。今、子育てが一段落して、私は少しその当時のことを思い起こし、かえりみることができる大人になったように感じます。あのときも、あのときも、誰かの傘を貸してもらってきたんだな、そのことがようやくわかってきたように思うのです。

 借りた傘は、貸してくれた人をさがしあてて返すのではなく、また誰かに手渡してゆくもの。これからの時間は、手渡してもらったたくさんの傘を、また必要な誰かに手渡してゆく時間なんだなと感じます。渡された傘が、また誰かに手渡されていく、子ども達のリレーのバトンのように。
 私はきっと、たくさんの傘をかりたから、たくさんの傘を手渡す事が出来るでしょう。
 こんなことも、子育てがある人生の、幸せのひとつなのではないでしょうか。

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みくま幼稚園だより 2014年10月号1
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26年度 9月号

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入園説明会におもうこと

先日、2週にわたる土曜日の午前午後の計4回、27年度入園説明会をいたしました。お天気にも恵まれたくさんの方にご参加いただきまして感謝しております。こうして、足を運んで話をきいていただける機会をいただくことはとても有り難い機会です。
 みくま幼稚園がやりたいこと、できること、届きたいと思っているところ、そしてそれを証明してゆくことは保育そのもの、子どもの育ちそのものと改めて肝に銘じます。

当日入園説明会に足を運んでくださった若い母親である「お母ちゃん」たち。そして今この時間も一生懸命に子どもを育てようとしているたくさんのお母ちゃんたち。みたこともきいたこともないことをいきなり本番でやらされて、失敗したら子どもの将来に響くぞと言われたり、一人一人ちがうからといわれたり、皆とちがうじゃないかと言われたりしながら、なにが正解でどうしたらよいかもわからないけど、とにかく毎日、目の前の唯一無二の我が子と一生懸命にむきあって子どものために役立つことをしてやりたいと願って、子育てをしていこうとしているお母ちゃんたちに、心からエールをおくります。そして、みくま幼稚園ができることを姿形にあらわして行きたいと思います。

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秋に育ちあうこどもたち

 4月から半年が経って、夏休みをこえると、幼い子どもなりにもその学年の風格のようなものがそなわってきます。途中から入園をしてきた子どもたちも大急ぎでととのえてチームプレーに参加します。仲間の中でしか育むことができない育ちの恵みがやっと、姿や形に現れてくる、そんな季節がこれからの晩秋から早春の頃です。秋はその兆しがちらりと見えてくる季節です。今までは遊びの興味や遊びの関心でつながっていた子ども達が、その人の人柄やその人ならではの心地よさに気がついて、特定の人に親密になりたいという心の動きを体験します。その体験のためにはまず、子どもの愚痴が毎晩語られるということがおこります。うまくいかない、思い通りにならない「人の心・人の気持ち」というものに対して、初めて子どもが自力でむきあう体験がやってきます。先生たちはそのチャンスを子どもたちがモノにできるよう奮闘します。お家のお母さんたちには、子どもの苦労をねぎらってやってほしいと願います。
「半分しかできない」と「半分もできた」は同一の現象について表しています。「利息がついていないじゃないか」と「元本保証で手堅いぞ」も同じことです。「嫌いなものを食べずに残した」と「ほとんどをおいしく食べれたね」も同じことを表します。

明日はもっといいことあるだろう、そう思って大人への長い道のりを歩いていく子どもたちに、
「赤ちゃんから幼稚園へいくようになった、この子なりのやり方で一生懸命生きている、初心者の私なりに苦労してここまできている、この先もこうしてやっていける、大丈夫だ」お母さんはお母さんにそういってあげて下さい。そして子どもたちに「大丈夫よ」と言うように、お母さんは自分にも「大丈夫よ」と自分の胸に手を置いて、そう言ってあげてください。子どもと歩く子育ての道中、親子は親と子、親友であり相棒であり、かけがえのないパートナーです。なにがあるかわからないからこそ、命をあずけあうパートナーが必要なのです。何事もおこらない見込みなら、人は一人で対処ができます。同行二人、たとえ一人で歩いていても、いつもパートナーシップで結ばれている。親と子も、みくま幼稚園という存在もそうありたいと願います。

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子育てで渡る川

 子どもが中学生になった春、なんとしてでもと思い入れがあった私は、感情的になって息子に手をあげようとしました。その時に息子は私にむかって立っていて、「なんで手をあげるねん、話せばわかるやないか、ちゃんと話せば俺はわかるんやで。」ときっぱり静かに言いました。いつかちゃんとこの人に伝えなければ、そう思っていた人間が機会を見定めて言ったのだとわかりました。息子はずいぶん前から私より大人になっていたのです。ああ、子どもを守って体を大きくするという「子どもの子育て」は終わりに近づいたのだ、あとは助言だけでいいんだ、本当に見守って、困った助けてくれと言われたときにだけ、なんとしてでも助けてやれば良い時がやってきたんだと悟りました。息子が私にそれを宣言したのは後にも先にもその時ただ一度の出来事でした。しかし、私はそのただの一度で、はっきりと「小さな子どもを育てる」という子育てがもう終わったのだとわかりました。「社会人として育ってゆく青年を見守る」その段階に昇格したのだと感じました。その後、私は息子の成長に比べれば、とてもゆっくりとした速度で、様々な出来事を通じて「社会人の卵を見守る作業」に移行中で、今もその途上にいます。

 子育てというのは、基本365日土砂降りだと思われた方がよろしい。日本晴れにしてくれ、あの雲が気になるんだというのは無理な話です。雨がやんだらうれしい、晴れ間が見えて幸せだ、そう思うのがよろしいのです。茶色い濁流を、子どもの手を引いて渡らないといけないのに、服が濡れると言っているようなものだと私は思うのです。これはいささか乱暴な物言いです。しかし、自分の人生、子どもの人生の中で、絶対将来が安全安心に保証されるということがない中で、自分が自分に「大丈夫」と言い聞かせて歩くのです。「明日はもっといいことあるだろう」と小さな子どもを大きく育ててゆくのです。履いている靴が小さくなった、親元を離れて苦労しながらも幼稚園に行くのだとがんばっている、そんな姿に雲の晴れ間を感じて、あたたかく抱きしめてやって、それぞれの家族の労をねぎらって、平穏に日が過ぎるということを有り難いことなのだと喜んで感謝する気持ちを胸において子育ての日々を過ごしてほしいと願います。

 私の息子が私に言ってきかせたのは13歳のときでした。大人のような応用力にたけた現実的なノウハウはないけれど、人としての正論は間違ってはいなかった。年少さんで幼稚園児になったあの入園式から、お正月が10回、誕生日が10回すぎただけの、わずか10年後のことでした。

あと10回で皆さんのお子さんは中学生です。花のティーンエイジャーです。親はもう一度、我が子と共に10代の人生を生きることができるのです。

 その時までの、あと10回を、どうぞ大切に。

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みくま幼稚園だより 2014年9月号1
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26年度 7月号

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終業式をむかえました

1学期も大過なく終えることができました。皆様にご理解、ご協力をいただきながら保育をすすめてくることができましたこと、心より御礼を申し上げます。

すいぶん前に、幼稚園のプリントを英訳していたとき、学校生活のことを英語ではスクールライフと訳しました。ああ、学校での時間は、子どもにとっての人生における時間なのだ。この当たり前の事実に初めて気がついた私は、子どもの人生に役に立つ学校でありたい、みくま幼稚園をそうした体と心の学校でありたい、そう願ってきました。「のびのびとこどもらしく」その言葉を支える土台は人間として豊かに生きてゆく、一人の人として自立し、支え合い、育て合うことのなかにあると考えます。皆様のご理解、ご協力重ねて御礼を申し上げます。

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「カラダのお稽古」をいたしました

売れっ子のフィットネスインストラクター、パーソナルトレーナーでもある松本寛子さんと私のコラボ企画、「カラダのお稽古」を実施することができました。「心」「気持ち」と、ついつい内面重視の私たちですが、子ども達をみているとじつに心と体は一つの器にすっぽりと入っています。

私たちもそのはずなのに、いつの間にか「カラダ」は健康やダイエットの対象物になってしまっています。カラダからアプローチをかけて内の面が成長する、変化、進化をして行く様を証明するためにも、じつは昨年の四月から、この私が自分で実験中です。体重はすでに標準までもどり、なにより一年で内面が成長を遂げました。(これを面と向かって私に言われた人はいちおうに、しあわせな奴やなー、と苦笑いを浮かべるのでした)しかし、特に子育て家事をこなす女性にとっては、カラダは無視して無理をしなければ、24時間365日休みなし、評価なし、報酬金なし、精神的支援なし、社内健診なしの生活はのりきることができません。母親業というのは、身を粉にして子どもを育てますが、自分のカラダがいちばんあとまわしになるのです。まず、カラダの動作、姿勢がどのようにメンタルを操作しているかを知り、カラダの使い方を知ることによりメンタルを操作できることを学んで子育ての生活を生きてほしい、若いお母さん達にそう願います。

そしてなによりも、みくま幼稚園という小さな世間の中に確固となる居場所をつくる子ども達に対して、ママ友といわれる人達ができても、同じ幼稚園の保護者同士という仲間ができても、なんだか自宅のキッチンやリビング以外には確固となる居場所がないと感じているお母さんのために、同じ志で生きて行く仲間が集う場所を提供できるよう幼稚園が様々な機会を提供したいと考えています。同じ年齢の子どもを育てているだけでなく、女性として、人として、これからの人生を生きて行く、「カラダのおけいこ」がそんな「同志」が集う小さなコミュニティとなりますよう願っています。

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子育てで渡る川

カラダのアプローチで今までの体験や経験がつながって、様々な出来事が少し俯瞰(ふかん)できるようになった気がします。「あれはああで、これはこう」と説明していた事柄が、「ようするに」と話せるようになったとでもいうのでしょうか。私は理事長で園長という椅子に座っています。皆に「いそがしいのだろうな」と思われています。確かに面倒で悩ましくて様々な手続きや関係機関との業務連絡と幼稚園の用務員さんとしてのお仕事など、様々な現場からはみ出てくる用事を拾うのも仕事です。しかし私の一番大事な仕事はなんでしょうときかれたら、みくま幼稚園にまつわる子どもと、その保護者をクライアントとして持つ相談者であり、支援者であると答えます。私の一番大事な仕事はみくま幼稚園の子ども達とそのお母さんたちに自分の思っていること、考えていること、学んだこと、知っていることをどこまで役立てることが出来るか、その人生に貢献することができるかです。

子育てにまつわるよろず相談を受け付け始めて20年以上がたち、相談を受けるという立場の私が心を分けて様々お話してくださったたくさんのお母さんたちに育てて頂いたことに心から感謝しています。

問題があるのはわかっていて、それを指摘したとしても、「じゃあどうしたらいいんですか」という話しは誰もしてくれない。それが一番つらいのです。しかし、答えは必ず自分の中で眠っています。そのヒントを探るお手伝いが私の一回二時間の懇談です。

子どもと過ごす夏休みは過ぎてしまえば短いほんの一時でした。しかし当時は長いもの。夏休みが長いかなと思われたら、どうぞご連絡ください。ひとときお茶をのんで、お話をいたしましょう。

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みくま幼稚園だより 2014年7月号

26年度 おそまきながら6月号

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夏がくれば思い出す

梅雨が明ければ夏がやってきます。どこできくのかわかるのか、毎年カブト虫の幼虫たちは梅雨が明けると同時にぴかぴかの成虫になって腐葉土の底からでてきます。セミの幼虫も固い地面の下から脱皮のためにでてきます。こうして、世界が少しづつ確実に毎日変化をとげている、子ども達は敏感にそれを感じ取ります。子どもの気分の良し悪しには、天気や季節、気温や湿度が影響します。そして住まいする家の中の気配やお母さんの様子、様々目に見えないもの、耳にはきこえてこないものを感じ取ります。それは、まだむずかしい言葉を理解しない、難解な言葉や複雑な感情表現をしない幼い段階の人間が、本能的に感じとる感性の世界です。そして、私たちも幼い人たちと生活を共にしながら、そうした感性のなかで喜んだり悲しんだり、怒ったり笑ったりしながら人生を生きているのです。

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夏の病気

夏の病気と言えば定番の、というものが季節感を失い、今や病気の季節感もあまり感じなくなりました。我々集団生活を預かる現場の者として一番困るのは、命には別状ないのだが感染力がつよく、治療が必要な病気、でしょうか。とびひ、水いぼ、頭ジラミなどはその代表で、感染力が強いのに出席停止でもありません。流行性結膜炎は出席停止扱いですが、初期段階ではよく見逃され、我々が医療機関に不信感を抱くことさえあります。子どもが行きたいと言えば行かしてやりたいのは親心だし、水いぼやシラミなんか生まれてこの方見たことないという母親に早期に気がつきなさいというのも酷なものでしょう。しかし、子どもを集団生活、社会生活に参加させる以上、人に感染するものを持ち込むというのはエチケットとしてやってはいけません。意図的でなくても、それを防ぎきることはできないことをみな了解しているからこそ「おたがいさま」は成立します。子どもといっしょにお風呂に入れるうちは、しっかり子どもの外側もみてやってほしいと願います。とかく、子どもの気持ちや心ばかりに目が行きますが、カラダとこころは一つの入れ物に入っています。親が気をつけていれば、子どもにいらぬ不便をかけささないことはたくさんあるのです。子どものカラダを自分の目でみること、さわること、そうしたことも大事にしてほしいと願います。

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子育てで渡る川

暑い夏、クーラーは子どもの身体に悪いときかされた初心者の母であった私は、一大決心をして扇風機をだして、当時はまだ幼い長男に、扇風機にさわらない、扇風機の近くで遊ばないと約束をさせ、うちわであおぎながら暮らし始めました。気温湿度の高い中、子どもは約束をすぐに忘れ、母親は扇風機と子どもの動きをにらむだけに執着し、いさかいはふえ、いらいらしてお互い泣き寝入りのような時間が延々とすぎて、ついに、クーラーのない生活は、身体には良いのかもしれないが、親子の精神衛生上は良くない、との怒りの決断を下すこととなりました。それ以来、うちの子育てでは、家に入れば適温で快適に生活する、がモットーです。今にしてみれば笑い話ですが、当時の私はおおまじめで、なにかしら思いついたり、ききつけたりすると、そうなんだろうか、と真剣になやみ、子どもにさまざま実験的な突然の取り組みにつきあわせ、結局、一人で頭にきたところで乱暴な結論をだす、という作業に没頭していたように思います。つきあった子どもも第一子、つきあわせたこちらも母親業はずぶの素人でまったくの初心者、やじさんきたさんの珍道中、本当によくつきあってくれたものです。今となっては、おたがいさま、おたがいよくやったよね、のひとことです。 幼くて迷惑ともよう言えず、いつも同行二人でつきあってくれた子どもに感謝です。

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みくま幼稚園だより 2014年6月号